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2022年1月

2022年1月26日 (水)

研究テーマが面白ければ、それは芋ずる式に広がっていく、日本のテーマパークを中心に敢えて公開する

1990年代前半に住友信託銀行のシンクタンク勤務で感じたことを述べてみよう。

1991年に私が調査した日本全国のテーマパーク事業は、当時クライアントから求められた調査研究テーマの一つであった。1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園してから8年が経過し、我が国のテーマパークの事業要因を考察してほしいという要望に基づいて行われたものである。

1992年の報告書3月版、9月版と2冊あり、2年度に渡って実施された。クライアントに納品された後、早速研究所の機関誌にその概要記事を書くようにと業務命令が来たが、その結果が次の機関誌(1993年1月、住信基礎研究所発行)に掲載された小論である。

*写真をクリックすると拡大します

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しばらくして研究所の機関誌を見た外部の出版社から原稿依頼がきた。当時は外部への講演や寄稿は、研究所にその謝礼金や印税の半分を納めれば自由にやってよいことになっていた。次の写真の週刊ダイヤモンドへの寄稿は、1993年9月4日号である。

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そして日本経済新聞社からの取材(上記の黄色の表紙もの)や銀座にあるレジャー&レクパーク関係の出版社からも寄稿の依頼がきた。

それが、次の「レジャーランド&レクパーク総覧1994」の第一章「日本のレジャーランド考」(1993年11月発行)への寄稿である。

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同時期に所属学会からも全国大会(東大阪市の近畿大学にて開催)での発表依頼と掲載された学会誌の論文(当時住信基礎研究所からヒューマンルネッサンス研究所へ移籍をしたばかり)

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以上のように、研究テーマが面白ければ、芋づる式に仕事が舞い込み、全国から寄稿や講演の依頼、そしてコンサルティングの仕事が入ってきたのである。

研究員冥利に尽きないこととは、この芋づる式の仕事のことで、次(1994年6月より)の移籍先の研究所(オムロン系の生活文化研究所)では、”コミュニティ・ビジネス”が地域を元気にするというテーマとなって、大きな花を咲かすのであった。

☆彡

2022年1月25日 (火)

自由学園で学んだ先輩たちの本物の生き方、仕事の仕方に学ぶ

拙著の寄贈に向かったある市の中央図書館で『本物を学ぶ学校 自由学園』婦人之友社編集部(2021年5月上梓)を思わず手に取った。それは、その学校を卒業した3人の先輩たち(小田さん、日下さん、水木さん)の本物の生き方、仕事の仕方に共感、共鳴をしていたからである。

私が、オムロン系の生活文化の研究所に勤務していた当時(主任研究員時代)、東芝の生活文化研究所所長を定年退職して当社の顧問に迎えられていた小田さん(自由学園最高学部を卒業)に誘われて、羽仁もと子・吉一夫妻の自由学園(2021年4月で創立100周年)の体育祭や本物の校舎(ライトの設計による明日館など)を見学に行ったことを思い出したからで、幼稚園生から最高学部の大学生まで、一緒にリズムに合わせてスウェーデン体操をしている風景には正直驚いたものである。こうした幼少期から青少年期の一貫教育はどんな人間を作り上げるのだろうか、と1週間考え込んでしまったものである。

小田さんには、その後、元東芝の名物営業・宣伝マンの山田さんのご自宅にも連れていってくれた。彼のマッチ箱収集の膨大なコレクション(1室がすべてコレクションルーム)を見せていただいたが、山田さんとの会話を通して、名物社員とはこういうユニークなキャラクターを持ち合わせるものだと思った次第である。こうして小田さんには、研究員としての具備すべき視座、すなわち”本物のあり様”を、現場に連れていって見せていただいたようである。

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次に私が同じ研究所の主任研究員時代に、多摩大学総合研究所とコミュニティ論、コミュニティ・ビジネス論の冠講座を共催した時(1996年から1998年の3年間)の大学側の責任者が日下所長(教授)であった。日下さん(大学からは東京大学経済学部を卒業)との思い出は、冠講座の内容を詰めているとき、小生の説明文の中で「地域密着のコミュニティ」という言葉が何度か散見された文章を見て、ぴしゃりと「型」「型」はいらない一刀両断に料理されたのが今でも印象に残っている。その会議は、日下さんが時々会話の中にユーモアのある話題を加味されたので、和やかそうに無事終了したが、言うべきことはハッキリと言う、という筋の通った人だと、感じ入った次第である。

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そして同じ研究所の主任研究員時代に水木楊(本名は市岡)さんという作家さんが、私がコミュニティ・ビジネスの実装実験をしている現場事務所(墨田区両国)と稲城の個人事務所両方に取材で訪ねてこられた。当時新聞記者さんのような雰囲気と本物の真理を見極める眼を持っておられる方(彼の質問内容から類推)だな、と思った次第であるが、あとで調べてみると、日本経済新聞の取締役論説主幹をされた方で、自由学園の最高学部を卒業された人であった。

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*写真をクリックすると拡大します

さて三人三様のこうした生き方、仕事の仕方を見て、幼少期から青少年期までの一貫教育が、いかに個性ある本物の人間を創り出すか、感じ入った次第である。しかるに同時期に訪問した1996年のエコロジー調査ドイツ・シュタイナーシューレやスイス・ドルナッハで見てきた一貫教育のシュタイナー教育も同じであった。

☆彡

2022年1月19日 (水)

細内所長の茨城県のイメージ

茨城県といえば都道府県の魅力度ランキングでいつもブービー賞を争う常連県として有名であるが決してそうではない。

コミュニティ・ビジネスの講演、起業ワークショップで茨城県に100回以上通った細内所長は、そんな茨城県を別な視点から解説してみよう。

北関東3県(675万人)の中で群馬194万人、栃木194万人、そして茨城287万人で、北関東の中で人口が一番多い県である。

常陸の国は、上野の国と同じ親王任国であり、現在の人口規模が示す通り、古代からパワーのある国(県)である。

新しい文化を積極的に取り入れる風土、さきがけの気風に満ちた国(県)である。

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水戸藩主徳川光圀から始まる水戸学もその一つである。江戸幕末時には藤田東湖らによる水戸学(国学)が隆盛をみせ、吉田松陰ら尊王攘夷派の思想的基盤となる。しかし天狗党の乱等で内部崩壊をきたし、徳川慶喜の大政奉還、蟄居謹慎によってそのパワーは鎮静化した。明治維新以降、1920年水戸に旧制高等学校が設置される。

戦後東海村は我が国のアトムの先駆けの地となる。そして筑波山ろくには、筑波大学をはじめ国や民間の研究所による筑波学園都市が形成され、科学万博もつくば市で開催された。

また古くは奈良時代の和同6年に編纂された常陸国風土記は、古老ら土地の語り部による我が国を代表する風土記となり、現在5国(冊)分しか伝わっていない貴重な資料である。

実は古代から文化水準の高い、新進気鋭の国(県)なのである。

しかし新しもの好きだが、飽きっぽい県民性がいまも続いているのが少し残念なところである。

☆彡

2022年1月17日 (月)

私なりの小さな社会貢献

65歳を前にして、私なりの小さな社会貢献。

ある自治体の中央図書館にコミュニティ・ビジネス関連の拙著27冊(単著、編著、共著)が所蔵されている。写真は貸出中もあり、市民著作コーナーで拙著20数冊がラインナップされている。いずれも小生がコツコツと寄贈してきたものである。

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2022年1月17日にその図書館を訪問し、さらに10冊を寄贈してきた

そのうち細内信孝が代表取締役を務めるコミュニティビジネス総合研究所出版部からもコミュニティ・ビジネス関連書籍を数冊寄贈してきた。

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ちなみに細内の著作、論文からの引用論文・他者著作も多数ある。

こうしてコミュニティ・ビジネスに関する論考は、真理を深めていくことになる。

☆彡

2022年1月 6日 (木)

日々是好日所在

先日久しぶりに既知の方丈様に会ってきた。

60歳を超えて再び日曜座禅会に参加しようと決心した。30数年ぶりの参禅である。

コミュニティビジネスネットワーク

近頃の作務はどんなものか、いまから楽しみである。

☆彡

2022年1月 5日 (水)

栃木県ゆかりのよそもの有名人

地域資源発掘方法の一つに、その土地土地にまつわる人に光をあてる方法があります。細内所長のふるさと栃木県を手本にその人に焦点を当てた表現方法を以下に紹介しましょう。

では始めます。いずれも毛の国、下野、野州、栃木県生まれではないよそ者の有名人たち。

川崎生まれの濱田庄司は益子の里に入り、民芸運動の一環として益子焼に新しい光(これを観光という)を当てた人物

旧制中学の教員時代は趣味の延長線上にある創作版画を、新しい文明の美意識まで高めた創作版画の達人・川上澄生は文明開化発信地の横浜生まれ

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川上澄生作:姿川村(現・宇都宮市)の村童野球(文化芸術のベルリンオリンピックで銅賞入賞作)

☆彡

弓削の道鏡は物部連の一族ながら、政敵・藤原氏に左遷され、当時の開拓地・あずま戒壇院(薬師寺)で身を落とす、さぞや悔しかろう

悔しといえば、政敵・秀忠派幕臣によってスキを突かれた宇都宮釣り天井(後日の創作が大である)事件の老中本多正純(彼は三河武士)

徳川幕府開祖の徳川家康は岡崎の生まれで、東照宮(大権現)として日光から江戸のまちを守る

その3代目徳川家光は、祖父家康の傍らで日光山輪王寺大猷院霊廟として控える。そしていま世界遺産として登録される

源氏嫡流の一つ、室町幕府の初代足利尊氏の本貫地は下野国足利なれど、母の里(京都)の生まれ?

藤原秀郷(鎮守府将軍、ムカデ退治の俵藤太)、宇都宮宗円(宇都宮大族で100万石)、足利尊氏(室町幕府征夷大将軍)と三大武家発祥の地・下野の国。宇都宮師団創設の理由の一つに使われる。

紫式部のお墓も、金売り吉次の墓も、なぜか下野の国にある不思議さ

こうしてよそ者・先人たちの歴史文化によっても、毛国、下毛野(下野)国、野州、栃木県は成り立っている

☆彡

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