栃木県ゆかりのよそもの有名人
地域資源発掘方法の一つに、その土地土地にまつわる人に光をあてる方法があります。細内所長のふるさと栃木県を手本にその人に焦点を当てた表現方法を以下に紹介しましょう。
では始めます。いずれも毛の国、下野、野州、栃木県生まれではないよそ者の有名人たち。
川崎生まれの濱田庄司は益子の里に入り、民芸運動の一環として益子焼に新しい光(これを観光という)を当てた人物
旧制中学の教員時代は趣味の延長線上にある創作版画を、新しい文明の美意識まで高めた創作版画の達人・川上澄生は文明開化発信地の横浜生まれ
川上澄生作:姿川村(現・宇都宮市)の村童野球(文化芸術のベルリンオリンピックで銅賞入賞作)
☆彡
弓削の道鏡は物部連の一族ながら、政敵・藤原氏に左遷され、当時の開拓地・あずま戒壇院(薬師寺)で身を落とす、さぞや悔しかろう
悔しといえば、政敵・秀忠派幕臣によってスキを突かれた宇都宮釣り天井(後日の創作が大である)事件の老中本多正純(彼は三河武士)
徳川幕府開祖の徳川家康は岡崎の生まれで、東照宮(大権現)として日光から江戸のまちを守る
その3代目徳川家光は、祖父家康の傍らで日光山輪王寺大猷院霊廟として控える。そしていま世界遺産として登録される
源氏嫡流の一つ、室町幕府の初代足利尊氏の本貫地は下野国足利なれど、母の里(京都)の生まれ?
藤原秀郷(鎮守府将軍、ムカデ退治の俵藤太)、宇都宮宗円(宇都宮大族で100万石)、足利尊氏(室町幕府征夷大将軍)と三大武家発祥の地・下野の国。宇都宮師団創設の理由の一つに使われる。
紫式部のお墓も、金売り吉次の墓も、なぜか下野の国にある不思議さ
こうしてよそ者・先人たちの歴史文化によっても、毛国、下毛野(下野)国、野州、栃木県は成り立っている
☆彡
« 細内所長の群馬県のイメージ | トップページ | 日々是好日所在 »
「細内所長のコミュニティ・ビジネス探究」カテゴリの記事
- ボランタリー経済の誕生と松岡正剛(2024.08.25)
- ベンチャービジネスの生みの親(2024.08.04)
- 現在細内所長の旅日記は、1535回を迎えました(2024.07.18)
- 復刻版絵本から現代社会を読む、「コミュニティ・ビジネスはまちにやさしい仕事」だった(2024.07.12)
- 東京都稲城市立中央図書館の市民著作コーナーに所蔵されている拙著も41冊になりました(2024.06.21)