「情報と情報財」研究の軌跡、先輩研究者からの贈り物
私は、1980年4月から6年8か月勤めたドイツ系外資系企業から、1987年2月に私立大学の経営コンサルティングセンターの研究員になった。本業の経営コンサルティング以外の自主研究として、前職の時から関心があった”情報”について勤務先の姉妹校短大の田中功助教授(後日、田中氏は、日本女子大学の教授となる)の先導のもとに共同研究を始めた。その成果が次の一連の論文(1989年~)だ。
専門図書館123号(1989年4月発行)の拙著の中に”情報財”という言葉が出てくる。
<以下の写真は、クリックすると拡大します>
そして情報財という言葉が、まだグーグルやほかの検索エンジンにも出てこない時期(1987年から1990年代初頭)にいち早く興味を持ち、その概念形成に果敢に取り組んだ(これを研究という)論文が、勤務先の大学法人の姉妹校である産能短大の1990年2月発行第23号の紀要に掲載された。それが次の拙著・論文(情報財の基礎理論に関する研究:査読あり、1989年10月受理)だ。
紙面の関係で写真はここまでとし、小論を詳しく知りたい方は当時筆者が在籍していた産能短大(現・自由ケ丘産能短大)の図書館(短大紀要第23号、1990)へご確認ください。
さらに当時新しく設立された情報文化学会の全国大会での発表とその成果をまとめたものが次のものである。すでに大学の研究員から大手銀行のシンクタンクに移籍(1991年)していたため、肩書は住信基礎研究所副主任研究員となっている。
当時1990年代の論文は、まだまだ手書きの図表が幅を利かしていた。次の図表も自ら描いたものだがたいへん懐かしい。
この時(1993年11月発表)の論文は、国立国会図書館のデジタルコレクション(学会誌は1994年7月発行)に収められているのでご笑覧ください。
この学会発表がご縁となり、大分県の豊の国シンポジウム(大分医科大学主催)から招待され、”情報と情報財”についての講演話しが舞い込んだ。しかもノーベル化学賞受賞者福井博士の前座で情報財の講演を行うのである。嬉しさ100倍である。
福井先生の写真の下にある会場の写真に私と後に東大教授になる川口さんも隣同士で写っている。統一テーマは「発想の原点を探る」である。私は、とうとう念願の「情報創造と情報財」について招待講演を行った(1994年5月)。
これらの「情報と情報財」に関する一連の研究が1987年から始まり、2007年から2020年3月まで連続13年間務めることになる総務省の”地域情報化アドバイザー”に繋がるのである。
その委嘱状は次の通りで、当初、総務大臣が任命しているが、途中から総括審議官(ナンバー3)に変わった。いま計13枚の委嘱状が、私の事務所の机の上にある。
予算の影響か?だんだん紙の質が低下していった。そのことが少し残念である。
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