「情報と情報財」研究の軌跡、先輩研究者からの贈り物
私は、1980年4月から6年8か月勤めたドイツ系外資系企業から、1987年2月に私立大学の経営コンサルティングセンターの研究員になった。本業の経営コンサルティング以外の自主研究として、前職の時から関心があった”情報”について勤務先の姉妹校短大の田中功助教授(後日、田中氏は、日本女子大学の教授となる)の先導のもとに共同研究を始めた。その成果が次の一連の論文だ。
そして情報財という言葉がまだグーグルやほかの検索エンジンにも出てこない時期(1987年から1990年代初頭)に興味を持ち、その概念形成に果敢に取り組んだ(これを研究という)論文が、大学の姉妹校短大の紀要に掲載された。それが次の論文だ。
さらに当時新しく設立された情報文化学会の全国大会での発表とその成果をまとめたものが次のものである。すでに大学の研究員から大手銀行系のシンクタンクに移籍(1991年)していたため、肩書は住信基礎研究所副主任研究員となっている。
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当時1990年代の論文は、まだまだ手書きの図表が幅を利かしていた。次の図表も自ら描いたものだがたいへん懐かしい。
この時(1993年11月発表)の論文は、国立国会図書館のデジタルコレクション(学会誌は1994年7月発行)に収められている。
この学会発表がご縁となり、大分県の豊の国シンポジウムに招待講演が舞い込んだ。しかもノーベル化学賞受賞者福井博士の前座で情報財の講演を行うのである。
福井先生の写真の下にある会場の写真に私と後に東大教授になる川口さんも隣同士で写っている。統一テーマは「発想の原点を探る」である。私は「情報財」が演題テーマで招聘講演を行った(1994年5月)。
これらの「情報」に関する一連の研究と「CBによる地域の元気づくり」の研究が、2007年から始まり2000年3月までの13年間務めた総務省の地域情報化アドバイザーに繋がるのである。委嘱状は当初当時の大臣が任命しているが途中から総括審議官(ナンバー3)になった。いま13枚の委嘱状が私の事務所の机の上にある。
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