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2023年4月15日 (土)

朝ドラ「らんまん」と牧野富太郎博士

小学生のとき読んだ「植物学者・牧野富太郎物語」が、今の私の研究者としてのベースがそこにある。

この4月からNHK連続テレビ小説「らんまん」は牧野富太郎がその主人公として描かれているが、私は小学生のときから牧野富太郎のような科学者を目指していたが、研究という道は歩んだものの地域コミュニティの研究という社会科学の分野に進んでしまったようだ。

中学1年の時、小生がまとめた「ミツバチの研究」(実家の母が養蜂店を経営)が宇都宮市教育委員会が主催するコンクールで理科の部の銀賞を受賞した。家で副業として養蜂をやっていたから身近にみつばちが存在した。

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また近著の「新版コミュニティ・ビジネス細内信孝さんからのメッセージ (gakugei-pub.jp) 」学芸出版社のコラム(95ページ参照)で牧野富太郎と龍馬のことを紹介した。

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そのベースとなったのが次の当ブログである。

2010年2月11日 (木)の細内ブログ「坂本龍馬と牧野富太郎」より

先週の高知講演では、講演のあいまをみて坂本龍馬記念館と牧野富太郎記念館を訪ねてきた。






坂本龍馬はほとんどの国民が知っているだろうが、牧野富太郎は理科系の人間でもすぐに分かる人は少ないだろう

両者を比較すると、龍馬のような国家に大革命をもたらす人材は100万人に一人でればよいが、牧野のような植物学者、すなわち科学者は多ければ多いほどよいというのが小生の考えだ(科学の進歩が経済発展を促し、人々の暮らしを豊かにするから)

40年前の小学生の頃、学者・牧野富太郎の伝記を読んで科学者をめざしたホソウチ所長ではあるが、結果は地域経済、コミュニティ振興の研究者となった(シンクタンクなどの研究所勤務は24年間)。牧野博士同様、小生も大学では非常勤(万年)講師としてすでに12年が経過した(牧野富太郎博士は東京大学講師を約50年近く務めたが、さまざまな事情でとうとう教授にはなれなかった)

今思うに子供の頃読んだ伝記の刷り込みが、現在の小生の姿に投影しているものなのか、それとも自分はこの程度の実力だったのかと思い、牧野富太郎記念館を後にした次第である

先人を敬うこと、先人になれることは、子供の頃から始めたほうがよい」が小生の体験談だ

坂本龍馬記念館は個人の寄付金などで完成したと聞いたとき、高知人の懐の深さに感じ入った次第である

ちなみに坂本龍馬像も高知の青年たちの先人を敬う気持ちで寄付金が集められ、桂浜に建ったそうだ

今、坂本龍馬像と坂本龍馬記念館は高知の桂浜にある

一度訪ねられることをお薦めする

http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-840f.html

好奇心旺盛な私は、後日東京八王子南大沢の都立大に保管されている牧野の植物標本50万点(牧野標本館)と練馬区の牧野記念庭園記念館(牧野の自宅跡地)を訪ねたのはいうまでもない。

一つの結論として子供のころから好奇心旺盛で探求好きな青少年を育成することが大切だ。

☆彡

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