私の研究者生活40年のあゆみ
私は、43年前大学を卒業し、ドイツ系の外資系企業に入社した。
私の研究者生活40年間にわたる研究成果である細内書籍コーナー(東京都稲城市立中央図書館に寄贈)
そして37年前の29歳で転職し、プロの研究員となった。その大学系の研究所には自分のデスクはなく、どこに座ってもよい完全なフリーアドレスだった。また月3~4日ほど自宅調査という、今でいうところの在宅勤務が取れた。しかし年棒制で給与分の売り上げを確保しないと、ボーナスで減額された同期も何人かいた。研究員のランクが上がると年棒の1.5倍、2倍の売り上げを確保するようにノルマが設定された。だから自宅で調査をしても自己責任だから、だれも文句を言わなかった。
また33年前の銀行の研究所(シンクタンク)勤務では遠隔地にあるサテライトオフィスも経験したが、サテライト共同研究PJで、他社の事例だが、本社の動きが見える遠眼鏡(とうめがね)という機器がサテライトオフィス内に存在した(村社会そのものだ:本社の様子が心配な人向けの極めて日本人向けの仕掛けだ)。
さらにメーカー系の研究所では、完全年棒制になり、研究業績と部下指導が直接給与に反映した。その後、自分の研究領域を活かすため独立起業した。
日本の転職はいまだに年金制度(私は、勤務先でそれぞれ厚生年金、私学共済、国民年金、企業年金を経験した)が邪魔をしているように感じるし、また世界的見地から見ると、退職金も一か所に長く勤めると支給額が増加するという制度も、企業の新陳代謝を妨げ、硬直化を招いているように思う。これが66歳になる現在、日本の転職と年金制度に関連する私の思いだ。
(細内の公式 Facebook と同時発信)
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