事業にはリスクがつきものであることをけして忘れてはいけない
今朝8/3のNHK朝ドラの「らんまん」を見ていて、母方の祖母のことを思い出した。
明治30年代生まれの祖母の実家もドラマに出てくるような酒造業を営んでいたが、大正3~4年ころ全国的な腐造流行(廃業したところは、全国の造り酒屋の三割近くにのぼるという)により、酒が酸味をおび、売り物にならなくなり、とうとう廃業したという。
当時地方の銀行は発達しておらず、資金調達は地元の大地主から金を借り入れ、それで酒造りに取り組んだという。しかし仕込んだ酒が全部廃棄となり、祖母の実家は郡内一の石高(生産高)を誇る酒造業の”のれん”を降ろさざる負えかったらしい。ドラマに出てくる峰屋と全く同じプロセスであり、全国的な流行であったことが確認できたのである。この話は、子どもの頃、祖母から直接聞いた話である。
以後日本の清酒には防腐剤を使うようになり、昭和40年ころまであまり美味しくない清酒(アルコールが鼻に衝く二級酒など)が幅を利かせていたという。
今は防腐剤を使用していない。健康的で美味しい日本酒が外国人にも受けている。
しかし事業にはリスクがつきものであることをけして忘れてはいけない。思えば、干瓢問屋(干瓢の相場はいまの株式相場と同じくらい難しいといわれる)であった母の実家で、商業、商いの基礎を、私はこどものころから門前の小僧として身をもって経験し、我が家(養蜂場)では家訓として残っている。
写真は本文と直接関係はありませんが、このお酒はフルーティでたいへん飲みやすい発泡清酒です。
女性や外国の発泡清酒愛好者が増え、マーケットは広がっているという。
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