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2024年12月14日 (土)

谷川俊太郎は「そして」という接続詞を残して‥‥

「そして」のそしては、私が続く

谷川俊太郎の鬼籍入りを風の便りに耳にして

彼の詩集「そして」を本棚から取り出した

 

そして

夏になればまた蝉が鳴く

花火が記憶の中でフリーズしている

遠い国はおぼろだが

宇宙は鼻の先

なんという恩寵

人は死ねる

そしてという接続詞だけを残して

 

私たちの人生は、「そして」の連続だ

私が、1996年から1998年の3年間にわたり、ヒューマンルネッサンス研究所在籍中に総合プロデュースし、自ら登壇したコミュニティとコミュニティ・ビジネスに関する公開シンポジウムの写真が、書斎の本棚から谷川の詩集とともにこぼれ落ちてきた。

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1996年当時は、髪の毛は黒グロであったが

そして今(あれから28年が経過した2024年現在)、私の髪の毛は真っ白となり

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2023年12月19日台北市の現代客家地域経済フォーラム(台湾客家委員会)にて基調講演を行う

日本国内や異国の地でも市民・住民、地域コミュニティの役に立つよう今も「そして」の講演を続けている

☆彡

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