谷川俊太郎は「そして」という接続詞を残して‥‥
「そして」のそしては、私が続く
谷川俊太郎の鬼籍入りを風の便りに耳にして
彼の詩集「そして」を本棚から取り出した
そして
夏になればまた蝉が鳴く
花火が記憶の中でフリーズしている
遠い国はおぼろだが
宇宙は鼻の先
なんという恩寵
人は死ねる
そしてという接続詞だけを残して
私たちの人生は、「そして」の連続だ
私が、1996年から1998年の3年間にわたり、ヒューマンルネッサンス研究所在籍中に総合プロデュースし、自ら登壇したコミュニティとコミュニティ・ビジネスに関する公開シンポジウムの写真が、書斎の本棚から谷川の詩集とともにこぼれ落ちてきた。
1996年当時は、髪の毛は黒グロであったが
そして今(あれから28年が経過した2024年現在)、私の髪の毛は真っ白となり
2023年12月19日台北市の現代客家地域経済フォーラム(台湾客家委員会)にて基調講演を行う
日本国内や異国の地でも市民・住民、地域コミュニティの役に立つよう今も「そして」の講演を続けている
☆彡
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