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2025年6月

2025年6月20日 (金)

私のライフワーク、研究の体系化を振り返る

研究者として活動した29歳から68歳までの40年間溜まりにたまった研究資料を整理(断捨離)し、近隣の公立図書館で細内所長の研究成果のヒット件数を調べてみた。

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      ふるさとの博物館にて

すると次のような結果が出た。

・読売新聞のヨミダスのヒット数は、15件

・朝日新聞のクロスサーチのヒット数は、15件

・日経テレコンのヒット数は、27件

・雑誌記事・論文のヒット数は、55件

・日本工業新聞「シンクタンクの目」の連載(寄稿)記事(紙面は、A3サイズの大きさ)は、4件であり

・専門紙への連載は、ダイヤニュース4回、信用金庫新聞8回、生産性新聞6回である

・Google scholarでの引用件数は、2,530件

そして

・39年間での講演回数(ほとんどが依頼によるもの)は、3,000回(国内47都道府県全部をまわり、海外の招聘講演は韓国4回、台湾1回を記録)を超えた

・著作は26冊

・そのうち海外での出版(韓国語版)は、2冊あり

・論文数は、64件

・テレビ・ラジオの出演回数は、56回を超えた

 

みんなが無料で検索できる公共財のデータベースのヒット件数は、

39年間の研究者として、テーマの新規性を含め、まずまずの成果ではないだろうか。

研究の専門性は、自分で拓くもの、そして深めるもの」が、私の持論である。

当ブログ1556回目の作成にあたり、これまで共感(サポート)してくれた多くのみなさんに感謝である。

「どうもありがとう」

まだまだ研究生活は、続きます。

☆彡

2025年6月 7日 (土)

わが従弟会・山羊の会(細内ブログの通算1555回記念号)

母方のわが従弟会・山羊の会は仲が良い。明治以降商家の大家族(下記写真)のもとで育ったせいか、みんな和気あいあいとしている。

先日も従弟会9回目(コロナで中断していたが再会した)の総会が新宿の南国酒家で開催されたが、特別編として今年の晩秋に名古屋開催を予定している。

そこで名古屋(愛知県)、岐阜など、今まで私が両県で仕事をしてきたその足跡を改めて紹介しよう。

岡崎市の中央図書館オープンに伴う地域デビューの講座

名古屋の将来を語る懇談会:市長主催 2005: 公式ブログ  細内所長の旅日記 

2004年開催の愛知県地域ビジネス・フェア

細内所長の岐阜県における講演会活動(2001年~今まで)はこちら: 公式ブログ  細内所長の旅日記 

今回ブログにしたためなかった講演地は他にも沢山あり、蒲郡市で開催された愛知県商工会議所連合会の講演会や北名古屋市、豊橋市、豊田市、名古屋市(教育委員会主催)、半田市、弥富市、豊川市、尾張旭市、犬山市(名鉄ホテルにて)などがある。

以外にも中京方面には足蹴く通っていたことになる。

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わが家のファミリーヒストリー女系編:私の原点は、母方の栃木県壬生町にある干瓢問屋小島屋の記念写真(私から4代前の当主(中央のひげ爺さんこと山羊じじぃ)とその家族、従業員たちにある。大正の中期ころか)
山羊じじぃは、今風に言えば、起業家・ベンチャーでもあった。一代で県下有数の乾物商会を作り上げた。

私の研究に関する新規性の原点は、この母方の血脈にある。

☆彡

2025年6月 4日 (水)

長嶋選手、60数年間どうもありがとう

60年前の小学校の作文に将来の夢は野球選手になると書いた。

北関東で育ち、地元に来るジャイアンツのオープ戦を毎年見に行ったが、試合前の長嶋はいつも外野までトレーニングをしにわざわざ出向いてくれた。彼一流のファンサービスだ。

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大人になり、よみうりランドの近くに住むようになり三十数年が過ぎた。長嶋が時々イベントでよみうりランドに来ると分かれば、天安の前で待った。そしてその時々の彼の姿を確認した。

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今日地元稲城市の東京ジャイアンツタウンにお別れの記帳台が設けられた。お別れの記帳をしてきた。長嶋選手、60数年間どうもありがとう。 合掌

☆彡

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