私の気になる一枚の絵・版画

ドイツの社会彫刻家ヨーゼフ・ボイスや川上澄生
の世代は、外出時にハットを被って外出した。ハットは大人のラブリーアイテムの一つだった。彼らの世代はとってもオシャレなのだ。
私の好きな版画家の一人、へっぽこ先生こと川上澄生。彼の村童野球戯之図(版画は1936年作)に私の父の姿がある。当時8歳(宇都宮市郊外の鶴田駅前朴花居付近で遊んでいたという)だった。
詳しくは⇒細内ブログ600回記念『村の版画』を参照されたし。



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ドイツの社会彫刻家ヨーゼフ・ボイスや川上澄生
の世代は、外出時にハットを被って外出した。ハットは大人のラブリーアイテムの一つだった。彼らの世代はとってもオシャレなのだ。私の好きな版画家の一人、へっぽこ先生こと川上澄生。彼の村童野球戯之図(版画は1936年作)に私の父の姿がある。当時8歳(宇都宮市郊外の鶴田駅前朴花居付近で遊んでいたという)だった。
詳しくは⇒細内ブログ600回記念『村の版画』を参照されたし。
廃材の有効活用は世界各地で盛んだ。写真はソウルの若者たちが製造した音の出るパフォーマンス・カー?
ドイツの視察では環境(廃材利用)芸術家に会ったが、彼・アッカーマンさんは元気かな。 彼の自宅は廃電車をコンティナー風にいくつか接続したユニークなもので、周りのオブジェも廃材利用のアートであった。ドイツには環境をテーマにしたいくつものミュージアムがあったが、わが国ではこの手のミュージアムはまだ少ないようだ。
産業遺跡として、ルール工業地帯の元ガスタンクを活用してアートフェステバルを行っていたが、産業遺跡を残しながら環境問題を考えていく手法は、わが国でも元銅山・鉱山などで取り入れても良い手法だ。過去の負の遺産を解体して消し去るよりも、現実を直視する姿勢が大切なのである。
アッカーマン氏の自宅にて
CB総合美術館のコレクションがまた一つ増えました。
習志野市の鼈宮谷さんから寄贈されました。
郷土の名所旧跡や特産品、まち自慢などのご当地紹介かるたは全国的にも多いのですが
防災かるたは珍しいものです。3.11の影響でしょうか。
習志野市民が地域活動の一環として制作したそうです。
地図も添付されていて良くできています。
当美術館では地域かるたの収集をしています。
寄贈いただけると幸いです。
個人的にもCB総合研究所としても「地域かるた」を収集している。
先日も茨城県つくば市での新しい公共支援の一環(ハンズオン支援)として、NPOを応援・支援してきた関係から、『つくばスタイル』という情報誌と『環境かるた』(茨城県立竹園高校環境班作成)をいただいて来た。
また3月青森県津軽地方に出張したときも、ストーブ列車で有名な津軽鉄道に乗車し、地元のNPO(かなぎ元気クラブ)から『太宰歌留多』を寄贈された。金木町は太宰治の生誕の地である。
感謝、感謝である。
最近入手した逸品かるたには、『親鸞さま いろはかるた』もある。
CB総合研究所のコレクションWEBがあるのでご紹介しよう。
この連休はカレンダー通りにCB総合研究所に出勤し、あとは法政大学大学院のコミュニティ・ビジネス論の講義を4/30と5/7に行い、さらに美術館と図書館通いの平穏な日々を過ごしてきた。東京近美の岡本太郎展と町田市の駒井哲郎版画展に出かけてきた。岡本太郎は後に譲るとして、いま駒井哲郎の版画展が町田市版画美術館で開催されている。こんもりとした谷間の森にある美術館でお気に入りの美術館のひとつである。
駒井哲郎の版画の世界は主に銅版で表現されているが、わが国の銅版画家としては最高水準にある人だ。昭和28年に資生堂で初の個展を開催して以来、資生堂名誉会長の福原義春さんは大の駒井コレクターとして収集に努めてきたらしい。その成果が今回の福原コレクションとして町田市の版画美術館で開催されている。
福原さんとは9年前になるだろうか、直接言葉を交わす機会があった。当時私は立教大学の大学院で兼任講師をしていた。夏季の集中講義で立教大の講師控室で福原さんとお会いし、名刺交換と言葉を交わしたことがある。福原さんはメセナの講義、私はコミュニティ・ビジネスの講義に来ていた。私が全国を講演で歩いていることをお話しすると、福原さんがそれは大変良いことだ。ぜひがんばって続けてくださいと言ってくださったことを今でも覚えている。ちなみに資生堂との御縁は1989年ころだろうか、大阪資生堂でマネジメントの講義に出講したことがある。当時の私は産業能率大学の研究員であった。
私も大の版画コレクターとしてHP上にバーチャル美術館を開設している。駒井版画も2点コレクションしているが、金子光晴詩画集「よごれてゐない一日」にある挿画1の黄色の銅版画(駒井作)が大のお気に入りであり執務室に掲げている。
ひと月前になるだろうか。4月6日に拙著「新版 コミュニティ・ビジネス」学芸出版社刊の出版記念時における京都での講演のこと。
所長が京都に行くときは、いつも仕事の合間を見つけ必ず寄ることにしている場所がいくつかある。そのひとつが三十三間堂であり、千手観音坐像や風神、雷神像、そして二十八部衆立像に会いに行くのである。暗闇の中に立ち並ぶ千体に及ぶ像の荘厳さがリフレッシュに最高なのだ。
今回は、その目の前にある京都国立博物館の常設展も一緒に見ようと、そのゲート付近まで足早に出かけたが、残念ながらその日は平成25年の秋まで改築中で入れないとのこと。
よく考えてみれば京都は千年の都。町そのものが何処へ行っても博物館なのだ。わざわざハコモノで囲う必要はないな、と思った。よって3年近くも常設展示室を閉じていてもまったく問題なしなのだと勝手に想像した次第である。
今回時間がなくて行けなかったが、いつもは太秦の広隆寺の弥勒菩薩像や平安京の唯一の遺構が残る東寺など、京都に来て時間ができればよく訪ねるところだ。
翌日奈良斑鳩の里の中宮寺の菩薩半跏像も拝顔したが、こちらも穏やかな菩薩さまであった。
震災後の安寧を願い中宮寺の菩薩さまに合掌してきた。