旅行・地域

2009年6月 2日 (火)

北京の健康生活に見る

北京市内の天壇公園から見る北京の空は思ったより青かった

入場料を支払い、天壇公園内に入ると、驚いたことに高齢者たちによる小楽隊あり、カラオケあり、歌唱ショーあり、そして一方、気功をする高齢者、太極拳やバトミントンも、いずれもグループをつくり、リーダーのもとに一糸乱れぬパフォーマンスを繰り返していた

それはそれは賑やかであった

まさに10人~50人ほどの連(れん)から成る”テーマコミュニティ”である

定年退職を迎えた男女の高齢者が混じりあい、楽しそうに週末の余暇をこうして楽しんでいる

傍らのボトルに中国茶を入れて各自持参している

聞くところによると、彼の地の高齢者には年間の公園入場料が格安の60元(900円)程度らしい

比較的生活にゆとりのある年金生活者がこうしてテーマ別に集合し、レクレーションを楽しんでいる

日本と少し違う点は、月2万円程度の年金生活者でも、こうして仲間と楽しく人生を謳歌できることである

お金がなくても”健康的な生活が可能”なのだ

わが国の都市型高齢者も、こうした暮らしや群れる場を再発見しょうじゃありませんか

かって、民芸運動の濱田庄司が唱えていた”健康な暮らしの中で健康な器(うつわ)を作り続けてきました”とは、こうした北京市民のように、お金をかけなくても、健康的な暮らしが十分可能になるのだ、と気がつきました

2009年5月26日 (火)

東関親方、お疲れ様でした

 ホソウチ所長は、1994年~2001年まで、東京墨田区の両国駅前に共同事務所を構え、そこを拠点に活動をしていた関係で、よく東関親方を街中で見かけたものだ。東京で両国場所があるとき、よく親方が入り口でキップもぎりをされていた。そんな親方の真摯な態度が、みんなから好感をもたれたものだった。そして昨日の親方の相撲界定年引退は、誠に惜しまれるものだ。親方は人物的にもみんなから愛される存在だった。

 今から4年前だろうか。所長は山形での講演を終えて、新幹線に飛び乗り、グリーン車に自分の席を探したとき、わが目を疑った。何と東関親方の隣の席、つまり親方と東京までお話をさせていただいたのだ。3時間ほどであったろうか。日本人より日本人らしい情のある方だった。山形県内における東関部屋の夏合宿を終えて、山形新幹線にて帰京中での1コマであった。

 所長の年代からすると、ジェシー高見山、お疲れ様でした、と叫びたい。

 東関親方、ホントにお疲れ様でした。

2009年5月23日 (土)

ホソウチ所長の怪しい経済学(神楽坂編)

 昨日青森から帰京したばかりだが、本日土曜日は法政大学の大学院(市ヶ谷)で1コマ講義し、颯爽と神楽坂に繰り出した。五十番で中華饅頭とシュウマイを食し、その後、街歩き中にボランティアガイドさんに誘われ、ガイド料なんと千円を支払い、その群れに従った。はじめてガイドをするというボランティアさんだが、なかなか話しが上手い。暇なので練馬からガイドに来たというが正直でよい。いまどきのお母さんは暇なのか?どこの芸子さんも、舞妓さんも地元出身者が少ないという。仕方がないかと諦め、そのガイドに従う。

 神楽坂は街並みとして、また商店街としてもかなり流行っている。経済学的に見れば地方の10数万都市の経済力にも匹敵するであろう。この人込みを地方の商店街にも少しお裾分けをしたいほどである。そして神楽坂には秘密基地がたくさんあって面白い。台本書きのための旅館があったり、芸子さんの為の見番があったり、はたまた密会のホテルや旅館があったりと、その怪しい雰囲気が所長にはたまらないのだ。しかし料亭はいま6軒に減り、芸子さんも30人ほどしかいないという。所長はこの街が大好きである。路地の曲がりくねったところ、探偵ごっこのようでさらに良しである。近くにアグネスホテルもある。できれば一度宿泊したいものだ。

 そして、すぐ近くには東京物理学校、いまの理科大学がある。そこの近代科学資料館に入館したが、当ブログで以前書いた逗子市の主婦が運営・経営・解説する”理科ハウス”の方がソフト力があって面白い。あれは理科のテーマパーク。一方、その博物館はただモノが置いてあるところで、いまいちなのだ。設置目的が違うから仕方がないのか。

 かくして所長の土曜の楽しみは、市ヶ谷の大学院で「コミュニティ・ビジネス論」を講義し、こうして神楽坂界隈を徘徊することなのだ。最近よく自己を忘れるので”徘徊”でよいのである。

道元禅師に従えば、これは自己を忘れることなり、または自己を習うことなり!!、

”喝” という 天国の鈴木格禅先生のお声が聞こえてくる。

一言、「よい師を持とう」

2009年5月 5日 (火)

最近の乗り物はなぜかエンジン音が”カラカラカラ”と軽いのだ

 ホソウチ所長は乗り物が大好きだ。だからこのブログのタイトルも”旅日記”となっている。

 今日も新宿から私鉄の電車に乗車したが、最近気になるのが乗り物のエンジン音だ。

 車体が軽くなったのか、最近の乗り物は、すべからくそのエンジン音が”カラカラカラ”と軽いのだ。

これは電車だけでなく、最新の飛行機や新型の自動車もそうだ。エンジン全開で頼りないその音を聞くと少し心配なのだ。

 かって所長は”シルキーシックス”と呼ばれるドイツ車に乗っていたことがある。アクセルを踏むと丹田まで響くエンジン音には正直惚れ惚れとしたものだ。

 飛行機も、電車も、自動車も、エンジンの燃費効率が向上し、車体も軽くなったのであろうが、本来乗り物と人間の一体感が醍醐味なのに、少しパワー不足の感が否めないと思うのは所長だけだろうか?

 専門家の意見を聞きたいものだ。

2009年4月28日 (火)

夏が来れば思い出す、アロハ姿のサーファー課長

 夏が来れば思い出す、はるかな富士、遠い空。

関東で一番早く”海開きをするまち”をみなさんご存知だろうか。

ホソウチ所長が仕事でお付き合いしていたその町の観光課長は知る人ぞ知る”サーファー課長”である。

”役得”なのか、それとも”波乗り”と言う”一芸に秀でている”のか。とにかく彼はかっこよく”モテル”のだ。

海開きの時季になると彼は”アロハシャツ”を着て庁舎内を闊歩する。

一年中、彼の顔は”真っ黒”で知らない人が見れば明らかに”プロサーファー”である。

サーファー課長は、今年もアロハ姿で”岡サーファー”に徹し、自分のまちをPRするのだろうか?

今年も遥かに”富士”を望みながら湘南に夏が来る。

2009年4月 7日 (火)

線路は続くよ、どこまでも(ユリ高原鉄道編)

 秋田県由利本荘市にある矢島町は、鳥海山麓を走る3セクの由利高原鉄道によってJR羽後本荘駅に接続されている。先日所長も講演でご当地・矢島町を訪れたが、トンネルを抜けるとあたり一面に雪景色が広がった。そこが矢島町であった。ご当地も少子高齢化と人口減少に苦しんでいる地域の一つであるという。

 地域活性化には”郷土愛”と”地域資源活用”が大切だが、ご当地の地域資源は一体なんだろうかと、いつものくせで資源サーチのアンテナを立てた。やはり由利高原鉄道がキーポイントであろう。

 ”線路は続くよどこまでも”という有名なフレーズがあるが、線路は全国に繋がっており、全国から観光客を呼び込むことが可能である。観光地にはだれもが口ずさむことが可能な”小唄(テーマソング)”が必要である。春まじかな由利高原鉄道沿線には、まもなく”ユリの花畑”が出現するという。

 そして”ユリ高原鉄道の物語”はもう始まっている。数ヶ月前、TV東京の番組”田舎へ泊まろう”でご当地が舞台になり、東京から来た演歌歌手(彼女に小唄を歌ってもらうとよい、かつTV・音楽業界とも関係性が生まれるだろう)が泣きながら泊まるところを探していたが、まさか所長が数ヵ月後にその現場の駅に立つとは思いもよらなかったことである。だからこそ人生は面白いのだ。なにが起こるか分からない。

 いままた新たな物語として”釣りキチ三平”列車が走っている。所長も先日その列車に乗車してきたが、ご当地には釣り名人がいるはずである。列車の中で釣りのポイントや講釈をするボランティアガイドさんが乗車しているといいなと思った次第である。渓流釣りや鮎釣りなど、ご当地にはまだ未開発(自然と共生したもの)の地域資源が沢山あるはずだ。ついでに釣り具メーカーさんの協賛も得るとよい。地域活性化策には、こうした関係性づくりが大変重要なのだ。

 また矢島町には、かって修験道の宿坊があったり、山岳信仰も残っているという。地域資源にはこうして埋もれてしまったものが少なくない。”郷土愛”をもった地域の人々が一つになるところから地域資源の掘り起こしが始まり、そして地域活動や地域事業化が多数誕生し、やがて地域活性化の波が起きて来るのだ。

2009年3月31日 (火)

川越のまちづくりと朝ドラ「つばさ」

 ホソウチ所長は本日2009年3月31日付けをもって埼玉女子短大の客員教授を正式に退任する

思えば2000年4月からコミュニティ・ビジネス論を短大生に講義し、10年間に及ぶ

通勤は、自宅から東武東上線の川越駅経由で、JR川越線の武蔵高萩駅で降車し、そこからキャンパスまでスクールバスを利用し、10年間通った

通勤の行き帰りに、寄り道をしてよく川越の町を散策したものだ

この10年間の川越のまちの変貌は只事でなかった

仕事柄、全国各地のまちづくりを見てきたが、この10年間でわが国の一番上手くいったまちづくりの先進事例(年間観光客の入り込み客数は600万人ともいわれる)ではないかと思う

10年前にくらべて、今は川越の中心部に新しいマンションが林立し、まち中の居住が増えたが、しかし景観に問題が出たのは少し寂しい感じもする

また数年前に市が所有する中心部の元造り酒屋の再生プロジェクトの審議委員に選ばれて屋内を視察したが、この度、そのときのコンペ案を取り込んで、造り酒屋の建物がリニューアルオープンするという

CBの観点からも古いものが再利用されて残ることは嬉しいことだ

昨日から川越を舞台にしたNHKの朝ドラ「つばさ」も始まり、まちは歓迎ムードで一色だ

所長も初回放送はワクワク、うきうきしながら拝見したが、これから毎日チャネルを合わせそうだ

それには上述の他にも訳がある

コミュニティFMラジオの誕生に「つばさ」の主人公が取り組むと言う

ホソウチ所長も現在月1回ではあるが、コミュニティFMラジオの湘南ビーチFM(神奈川県逗子市・葉山町エリア)の番組「ハッピーコミュニティ・ビジネス」にレギュラー出演している(ちょうど1年が経過した)

湘南ビーチFMは、インターネットラジオにもなっているので、海外に住む日本人も聞いているという(コミュニティFMは単に災害時だけの放送ではなく、こうした楽しみ方もある、かつて湘南地域に住んでいた海外で暮らす駐在員の家族が聞いているという)

「つばさ」は、所長のようにセイ・ヤングやパックイン・ミュージックなどを聴きながら受験勉強をしたラジオ世代には興味ある連続ドラマになりそうだ

今もこうして湘南ビーチFMのインターネットラジオを聴きながら(同時に動画で富士山と江ノ島が楽しめる)、東京千駄ヶ谷の研究所内で仕事をしている

2009年3月30日 (月)

地域にはそれぞれ歴史・文化がある、だからこそ面白いのだ

 昨日秋田の鳥海山麓の町、秋田県由利本荘市矢島町の講演先から帰京した

矢島町から眺める鳥海山は、映画”おくりびと(滝田監督)”に出てくる庄内地方から見てちょうど裏側にあたるが、その山容は気品のある美しさであった

最近、ロードショーされた”釣りキチ三平(おくりびとと同じ滝田監督)”のクライマックにでてくる夜泣谷の巨大魚との”格闘の場”の”ロケ地”も(由利本荘市の”法体の滝”)実はご当地なのだ

現在、法体の滝へは、残念ながら雪で道路が閉鎖されていて行くことができなかった

さて、矢島の講演会場でまず目にしたのは、長野県佐久地方の軽井沢から眺めた”浅間山”の額装された大きな油絵であった

どうして長野(信濃の国)の浅間山の大作があるのか?

これには由来があったのだ、何と源頼朝の時代、地頭職として信濃国の佐久から大井一族がご当地に派遣されて土着したとのこと

今から約800年前のこと、しかも約40代前(1代20年とする)の先人のことだ

そして佐久地方の地名と同じものが、いまもご当地に多数あるそうだ

歴史好きの所長は、全国各地の講演先で、その土地土地の歴史・文化資源を確認するが、ご当地も由緒ある土地柄なのだ

今も佐久地方との交流があると聞いて、この浅間山の大作にあらためて”ガッテン”をした次第である

神奈川県逗子市の講演でも、受講生の中に鎌倉幕府の御家人一族の方が参加されていたが、地域にはこうしたそれぞれの歴史・文化があり、だからこそ地域は面白いのである

コミュニティ・ビジネス起業には、こうした地域の歴史・文化資源に着目することからも始まる

初対面の人にまず相手の苗字の由来を聞いてみると、そこには面白い歴史・文化を見て取ることが出来るのだ

2009年3月15日 (日)

マイナス情報をプラス情報に換えられるか、企業力が問われる新幹線

 所長は鉄ちゃん(熱心な鉄道ファン)、しかも新幹線が大好きである

3/15の日曜日、神戸市での講演を終え、自宅に無事到着、こうしてブログを書く

3月のダイア改正でN700系の新幹線がたいへん乗りやすくなった

行きはN700系のぞみのグリーン車で快適

帰りは新神戸発17:02のN700系新幹線のぞみ(東京行き)

帰り時間が未定だったため自由席の1号車に乗車

運よく1号車の1番E席に着座することができた(東京に向かって1番後ろの車両、さらに1番うしろの窓際の席)

そこで新大阪から乗車した他の乗客がキャスター付きのスーツケースを所長の後ろのスペースに置いて前の座席に着席した

そのスーツケースに何と!珍現象!が起きたのだ!

新大阪~名古屋間で1番E席の後ろから同じ1番A席の後ろまでスーツケースが2往復したのである

N700系は振り子の電車である

振り子作用によってキャスター付きのスーツケースは車両の左端E席から右端A席まで往復運動(2回も)をしたのである

もしそのスーツケースが人体に接触したらただではすまない(怪我のもとである)

複数の乗客の目撃があり、所長も堪りかねて車掌さんにその現象を伝え、改善した方がよいとお話したが、このようなマイナス情報が上層部に上手く伝達されるであろうか

こうしたマイナス情報をプラス情報に換えられるか、企業力が問われる場面だ

この問題が改善されるかどうか、乗客の安全を第一に考える企業にとって企業力が問われるといっても過言ではないだろう

作動実験をしてみると良い

キャスター付きのスーツケースは重いが摩擦係数は小さい

よってカーブでは水平に大きくGがかかり新幹線の車幅左右に大きく振れるのである

しかも1番うしろの車両はさらにテコの原理が働く

3月のダイア改正でN700系の新幹線は大幅に増えた

喫緊に対策が講じられる事を願うばかりだ

(天の声:所長も時にはいいことを言う)

2009年1月18日 (日)

鳥海山麓に電車塾が走る

 ホソウチ所長は、30数年前に当時の国鉄に”パチンコ列車”を走らせようという小論文を大学同好会の機関誌に書いたことがある。

 そして今年度、秋田での”コミュニティ・ビジネス起業塾”(地域雇用創造協議会主催)では、パチンコ列車ならぬ、3セクの高原鉄道の電車のなかで、高校生等を相手にした学習塾を起業しようとするコミュニティ・ビジネスの事業企画案が、受講生の中から出てきた。電車内で学習塾起業とは何と面白いことではないか、こうした奇抜なアイディアをサポートする行政や企業が出てきてもいいのではないか。支える仕組みはいくらでもある。

 いまこそ”チェンジ”のとき、こうした芽を育てることこそ、地域再生の第一歩ではないだろうか。

2008年12月12日 (金)

限界集落と限界団地

ホソウチ所長は、講演やCB起業ワークショップで東京を離れる機会が多い。

各地で最近とみに空き家が話題になることが多い。その空き家で何かできないか、という点でよく質問を受ける。

限界集落には空き家問題がつきまとう。

ホソウチ所長は東京・多摩ニュータウンの一角に住んでいるが、築30~40年経過の公団分譲団地の空き室が話題になることが少なくない。

所長は、今回そうした現象を限界集落ならぬ限界団地と命名し、定義付けしてみた。

建物は築30年以上を経過し、エレベーターがない集合住宅。最寄り駅からバスを利用する。

自治会加入率は50%を切り、空き家率は30%を超える。

そのうち高齢者の住居率は全体の30%をしめると限界団地になる。

しかもその居住者に独居老人が少なくない。

やがて住民・市民自治が維持できなくなる。

限界集落は過疎地や中山間地だけの問題ではなく、都市部にも限界集落と同じこうした限界団地が数多く誕生している。

少子高齢社会を迎えたわが国では、こうした問題に対処する住民・市民自治による”新たな結い(共助)”や”新たな公”が求められる昨今なのだ。

行政(公助)だけに任せられない問題だ!

2008年11月23日 (日)

わが国を代表する秘湯の宿、実はハイテク宿

 ホソウチ所長は、先日ある講演の途中、わが国を代表する秘湯の温泉宿に泊まった。

その宿は、電気を自家発電で起こし、テレビもない。秘湯中の秘湯である。風情のある露天風呂にはランプの火がゆらゆらと揺れ動いていた。しかしながら、その温泉宿では驚いたことに、ハイテク機器が一杯であった。

男子の脱衣所には数台の防犯カメラがあり、あることへの抑止効果に繋がるという。駐車場にも数台の防犯カメラが設置してあり、不審者発見に役立っているという。

雪隠には、温水の出るウォシュレットが館内のすべての場所に設置してあった。最近、体を洗わない輩が多く、温泉の湯が汚れ、仕方なく設置したと館主が嘆いていた。このことは、ここ4~5年の出来事であるという。

わが国を代表する秘湯の湯でもこの有様である。他も推して知るべしであろう。そういえば銭湯でも同じマナーで悩んでいた。

核家族のコミュニティでは生活の基本である体の洗い方や他人とのコミュニケーションのとり方すら充分にやってこなかったのか?

等身大の生活にも、こんな影響が出ているだ。

大家族主義のよさを見直す好機でないか!

でも、けして昔の共同体に戻ることではない。

今の時代にあった新大家族主義をライフスタイルの選択肢の一つに加える施策が必要なのだ。それは新おつとめの復活かもしれない。

2008年10月26日 (日)

一息つけないこの秋だ!

 昨夜、ホソウチ所長は10月18日からの長期講演・ワークショップのロードから帰京した。

 18日足立区、19日宇都宮、20日東京、21日姫路、22日新潟、23日新潟、24日秋田、25日秋田、そして25日の夜、秋田から東京にもどり、ながらくホテル暮らしが続いた。

50歳を過ぎると、さすがに疲れがたまり、口内炎になり口内が痛い。さて私事はここまで。

 80年ぶりの世界金融恐慌の実態経済への影響が上記の各地で感じられたことを紹介しよう。まずは夜の街から人影が消えたという。人が消えれば深夜のタクシーはアガッタリだ。運転手さんが悲鳴を上げていた。特に10月に入ってからが深刻だという。

 しかし、内需拡大の兆しもある。各地のホテルは紅葉を求めて団塊世代の夫婦や女性グループの姿が目に付き、満室が続いていた。新幹線もそこそこ満席だった。しかし旅行でのお土産購買の消費単価は昨年より減っているという。

 今週は、水曜日に神奈川県逗子のコミュニティFM(ハッピーコミュニティ・ビジネス)に出演し、午後は逗子市役所で「女と男のセミナー」でワークショップ講師、31日の金曜日は千葉の習志野でコミュニティ・ビジネス講演会だ。翌日は秋田でコミュニティ・ビジネスのワークショップ講師をする。まだまだ一息つけないこの秋だ。

2008年8月18日 (月)

ドイツと日本の環境庭園美術館

 8月17日に3チャンネルの「新日曜美術館」を見た(好きな番組の一つ、檀さんが素敵だ)

最近オープンした北海道帯広市近郊の千年の森(美術館)?を特集していた。

そこで思い出したのは、所長が12年前の1996年、ドイツ訪問時に見てきた環境庭園美術館である。

どちらもコンセプトはほぼ同じ(これも独断です)、自然との融合のなかで”環境美”を見せる。

たしかエッセン近郊?であったような気がする。

でも、ドイツは欧州の環境首都だけあってエコロジー文化はさらに進んでいる。

当時、ミューヘン近郊のエコロジーファームでは、アーチストを住まわせてオブジェの制作や絵画を描かせていた。豚舎には、なんとその絵画が多数掛けてあった。そこの設立者は、福岡正信さんの書籍「自然農法 わら1本の革命」を読んで感銘し、このエコロジーファームを創ったと語っていた(彼の邸宅に泊めてもらった)。

また環境芸術家アッカーマン氏を訪問したとき、いくつかの廃棄電車を接続して住んでいた。そこが彼の棲家でかつアトリエだった。わが国にもこうした環境芸術家はいるだろうか?.

ドイツは環境問題を10数年前からすでにアート(文化)としてとらえていた。

そこがヒューマン的で素晴らしい。

わが国も、このくらい文化のゆとりが欲しい昨今である。

2008年8月 8日 (金)

都心に野生のカブトム出現

 昨日8月7日は、都心の千駄ヶ谷5丁目にある当方事務所から、8分ほど歩いた千駄ヶ谷駅前にて、神宮の花火を見てきました。毎年この時期になると各地で花火大会がありますが、神宮の花火大会も大盛況でした。駅前広場は夕方7:00になるとすでに人人ひとで一杯でした。

 さて千駄ヶ谷駅前に向かう途中、新宿御苑に沿った細道を歩いて行きましたが、なんと野生の生きのいいカブトムシが道路上で逆さになって手足をバタバタと動かしていました。

カブトムシまで花火見物かと思いましたが、都心に元気のいい野生のカブトムシが存在すること自体、大きな驚きでした。カブトムシまで都心回帰かと思い、感心して会場に向かいました。

 やがてその野生のカブトムシは、大きな羽を広げて、夜空の月に向かって飛び立ちました。

2008年7月31日 (木)

青いロマンスカー

 昨日は月1回の湘南ビーチFM(森川いつみさんの番組)の中の『ハッピーコミュニティ・ビジネス』出演のため、東京都多摩市より神奈川県藤沢市まで、臨時列車の小田急・青いロマンスカーに乗ってきました。今年の3月小田急が地下鉄へ相互乗り入れのために開発した軽量不燃車両で、乗り心地も最高でした。わが国のものづくり技術は、新幹線のN700系といい、世界最高水準ですね。

 しかし旅情を醸し出す雰囲気・環境は、国内キャリアすべてで、いまいちの状況です。つまり室内環境が必ずしも快適とはいいがたく、駅構内や車内はアナウンスがやたら多く、しかも冷房が効きすぎで、けしてエコロジーとは言いがたいわが国の鉄道キャリアの環境です。ものづくりは最高ですが、これからは人間の五感にとって心地よい、安らぎの空間とは何かを真剣に考える必要があるのではないかと感じとった次第です。

 サービスの本質を外したものは無駄そのものです。わが国のサービス分野の生産性が低いのもここに原因があるのでしょうか。まちの中にある余計なお節介サービスを減らすだけで、環境問題は随分と改善されるハズです。

2008年6月15日 (日)

ボランティア講演から帰りました

 6/15(日曜日)本日、たったいま、ボランティア講演先から帰京しました。延べ10時間の長旅(講演を含む)でしたが、心が豊かになる快適な旅でした。

 CB総合研究所では社会貢献の一環として、年2回の公募による無料の出前講演を実施しています。

 今年は多数の応募の中から、愛知県尾張旭市の”NPO法人心豊かにあるどの会”さんが選ばれました。残念ながら選にもれた団体さんは、次回またご応募ください。なるべく多くのみなさんにCBの考え方を広めて行きたいと考えています。

 あるどの会の清水さん、日比野さん、そして市民の皆さん、たいへんお世話様でした。

2008年5月 6日 (火)

定番商品は世界をかけ巡る

 先日の中欧旅行では、ハンガリーのブタペストで温泉に入りましたが、ハンガリーがかつて神聖ローマ帝国の一部だけあって立派な浴場でした。14年前に訪れたドイツのバーデンバーデンのフレーデリッヒ大浴場にも勝るとも劣らない設備でした。東洋人的な顔つきの人もいれば、西洋人的な人もいて、ご当地が東洋と西洋の接点にあることをお風呂で実感しました。

 さて細内所長のいつものわるいくせ(現地で使用するため、リックや鞄、帽子を購入すること)で、ハンガリー市内のスポーツ店で有名スポーツメーカーのリックを購入してしまいました。ホテルで中身を確認すると、なんと中国製でした。早速使用するために明日の資料をリックの中にいれましたが、不思議な気持ちになりました。中国で製造され、運ばれてハンガリーのブタペストで売られ、東京で使われるリックの運命はいかに!地球を半周ぐらいして、また極東に戻ってきたのですね。このように商品はいま世界をかけ巡っています。

2008年4月 4日 (金)

お一人様の時代

 先週の所長の行動は、長野の東御市(エッセイスト玉村豊男さんのワイン農場があるところ)で「情報通信技術(ICT)の利活用とコミュニティ・ビジネス」というテーマで講演し、その後岡山の笠岡市の笠岡諸島をまわり、そして広島の福山市の鞆の浦へ行ってきました。

 昨年総務省から地域情報化アドバイザーを委嘱され、「情報通信技術(ICT)の利活用とコミュニティ・ビジネス」という視点で地域を回ることも最近少なくありません。目覚しい情報通信技術の発達で各種メディアを利活用すれば、今や「お一人様放送局」「お一人様出版社」「お一人様研究所」「お一人様商店」「お一人様家庭」が十分つくれる時代となってきました。それだけメディアを使いこなせば、お一人様でも、何でもつくれて、いつでも、どこからでも自由に、自分情報を発信できる時代を私達は迎えているのです。これをある人は、ドラえもんのどこでもドアーといっています。

 今回、瀬戸内海の笠岡諸島でもそうした視点で、新しい島おこしを起こすにはどうしたらよいか、という趣旨のご相談にのってきました。島の暮らしを世間に伝えるには、従来の文字情報よりも動画情報への流れへ、伝達方法もまさにブロードバンドを活用したものへ、いま大きな転換期にあるような気がします。地方と東京の経済的格差を埋めるためにも、今後情報通信技術(ICT)の導入は地域再生に欠かせない手段の一つとなることでしょう。

 広島県福山市の”鞆の浦”では、久しぶりにのんびりしてきました。鞆の浦の対潮楼からの潮の満ち引きを眺めていると、日々のわずらわしさから開放されるのは所長だけでしょうか。江戸時代に江戸に向かう朝鮮通信使が休憩した鞆の浦では、古代からわが国の情報の結節点でもありました。そうしたところには自然と人や情報が集まり、やがて市場が形成され、交易が盛んになるものです。

 その鞆の浦では、”民芸茶処深津屋”さんで入れたての美味しい珈琲をいただき、所長もやっと一息つき、そして新型の新幹線N700に乗って無事帰京しました。日本の新幹線は快適で、やっぱり世界一の夢の超特急ですね。国鉄は44年前からチョー(超)を頭に使用していたのですね。現在の”チョー〇〇”流行の先駆けですね。

2008年3月15日 (土)

新街道を行く(26)N700系新幹線に乗車してきました

 本日3/15は、愛知県尾張旭市のNPO法人アルドでコミュニティ・ビジネスを分かりやすく、子供たちにも分かるように、所長が監修した絵本「まちにやさしい仕事」(当HPの著作物参照)を使い、熱い思いでコミュニティ・ビジネス、すなわち”まちに優しい仕事”を語ってきました。子供たち目を丸くして聞いてくれました。

 その帰路ですが、名古屋からの新幹線乗車、たまたま本日はJRのダイヤ改正日で、N700系新幹線に乗車してきました。2週間前にチェコのプラハから国際列車に乗車しましたが車両は古く、スピードもトロトロでした。

 それに対し、日本の新幹線は技術的にも快適性でも世界一でしょう。所長はユーロスター、欧州各国の特急なども乗車しましたが、本日のN700系新幹線の乗り心地は最高でした。乗車したN700系新幹線は、1Eの席で将棋で言えば穴熊の位置、サスペンションがトヨタの高級車の乗り心地にそっくりで、カーブでもスピードを落とさず、今までの新幹線の中でもベストワンの乗り心地でした。しかも全車指定の禁煙席で空気がクリーンでした。

 先月のチェコのプラハからの国際列車はアナログ的で、旅情を充分楽しめましたが、わが国のN700系新幹線はデザインといい、スピードといい、流れる風景といい、すべてがややデジタル的でした。この点がやや不満でした。富士山がよく見えました。車掌さんも左手に3分間見えますとアナウンスしていました。この3分間がいまの時代のスピード観を象徴しているのではないでしょうか。

 そういえば小田急電鉄も本日からロマンスカーが地下鉄千代田線に直接乗り入れたそうです。これで北千住から箱根までつながった訳ですね。こちらも試乗してこようと思います。

所長は実は鉄ちゃんなんです。

2008年1月31日 (木)

新街道を行く(22)秀吉の出世城

 先週は、岐阜の揖斐川町商工会で講演をしてきました。岐阜羽島駅から会場まで送迎してもらいましたが、長良川沿いを会場まで北上しているとき、左岸に立派な城郭が見えてきました。アテンドしてくれました大家さんに伺うと、なんと秀吉の一夜城である墨俣城ではありませんか。秀吉に関する時代劇のテレビ映像には必ず出世城の墨俣城が出てきます。でも当時は砦であり、大河の中にある中州の砦であったようです。今風に言えばプレハブ建材を分解して川上から筏に載せて一夜にして組み立てたようです。

 現在は白亜の立派な城が建っていますが、すぐ右側には岐阜の稲葉山(のちの岐阜城)城が控え、さらにその奥に木曽の御嶽山が雪帽子姿で見えました。稲葉山城(斎藤氏)にとって喉もとに敵(織田信長、木下藤吉郎=秀吉)の砦が突然現れたのは驚きだったでしょう。そうした地理的な関係が現場に立ってはじめて理解できました。でもプレハブ砦の発想は秀吉ならではで、当時の正統な武士階級には思いもつかなかったことでしょう。これは現代のビジネスにも通じることで、商人上りの秀吉ならではのユニークな発想で、まさに「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」的な行動ですね。そして、そうした秀吉の行動をサポートしたのがあの有名な蜂須賀小六で、彼の存在もたいへん重要です。既存の価値観や規制にこだわらぬ、これらのことは、現代のビジネスにも通じることです。そうした先人の知恵や経験をいまに活かし、CBを起こそうではありませんか。

閑話休題

 昨年岐阜の大垣市でも講演しましたが、大垣城が思っていたよりも小さかったのには驚きました。関が原の決戦前夜のテレビ、映画映像には必ず大垣城が出てきますが、それは立派な城郭ですので現地に立ったときは少し拍子抜けしました。現場に行かないと何事も分かりませんね。改めて現場を知ることの大切さを知りました。

2008年1月26日 (土)

新街道を行く(21)関門海峡を見ゆ

 今月は、秋田での雇用開発のためのコミュニティ・ビジネス起業講座と山口県山陽小野田市でのコミュニティ・ビジネス講演で多くの地元の方々と新たなご縁ができました。所長はこうしたご縁にふれることが大好きであります。

 今回の秋田訪問は運よく雪が少なく、快適でした。その秋田ですが、市内のビジネスホテルの多さに正直驚いています。5年前に比べて倍はあるでしょうか。

 さて今週は、山口県小野田商工会議所の中村さんの送迎で、講演会終了後、まちを一望できる竜王公園までご案内していただきました。竜王公園の麓のバス停には水神町という名前がついており、由緒ある土地柄であることを直感しました。標高150メートルの山頂からの市内眺望は最高でした。黒瓦の町並みと煙突の林立する姿が特に印象的でした。遠くには、関門海峡を挟んだ門司と下関の街が見え、そして、それに繋がる九州島の山々がよく見えました。壇ノ浦もたぶんあの辺りでしょうか。瀬戸内海は古代から交易を通じてわが国の政治経済の動脈であることが今も行き交う客船や大型タンカーから分かります。

 小野田市は昔石炭を掘っていたそうですが、そのため市内には高い建物が少ないそうです。今でもその採掘跡の地下空洞がときどき見つかるそうです。

 さて、今年も細内所長は新たなご縁を求めて全国講演の旅に出ます。

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岐阜 1月27日 『コミュニティ・ビジネスとこれからの中小企業』
日時: 1月27日(日) 13時30分~15時
講師: コミュニティビジネス総合研究所 所長 細内信孝
場所: 揖斐川町商工会館 大研修室 (揖斐川町上南方165-1)
主催: 揖斐川町商工会(揖斐郡3町商工会)

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東京 2月6日 『コミュニティ・ビジネスで自分おこし』
日時: 2月6日(水) 10時~12時
講師: コミュニティビジネス総合研究所 所長 細内信孝
場所: 小平市 中央公民館 (小平市小川町2-1325)
主催: 小平市教育委員会

 ご縁がありましたら、会場でお会いましょう。

 合掌

2007年12月11日 (火)

新街道を行く(18) ヘルシー津軽路を行く

 細内所長の週末は、秋田市でのワークショップを終え、”かもしか5号”で青森県の浅虫温泉へ、青森の友人上野氏に誘われ津軽路を旅してきました。なんといっても浅虫温泉のドクター石木との再会はたいへん嬉しかったです。4年ぶりでしょうか。3年前に地域活性化センターへ寄稿した一文で社会起業家・石木基夫氏の活動をご紹介しましょう。

細内寄稿 月刊地域づくり第182号 地域活性化センターより

安心・安全の健康地域を目指す「活き粋あさむし」


 コミュニティ・ビジネスのユニークな事例を紹介しよう。それは青森市にあるNPO法人「活き粋あさむし」が経営する「浅めし食堂」である。その食堂は地元雇用の女性たちが運営する、家庭の味を提供する日替わり定食屋さんである。代表の石木さんは、この町の町医者、数年前に東京からUターンし、医院とNPOの多足のわらじをはく。食堂の食材は地元で収穫した低農薬の米や野菜と海産物などで、化学調味量を使わず天然のだしを使用している。メニューは「毎日なつかしい、ほっとする料理(ジャガイモ水団など)」を安価で提供。医師と栄養士の監修で塩分、カロリー、たんぱく質、脂質などの栄養バランスはばっちり。個人の健康づくりと地元女性の働く場の確保でヘルシーコミュニティ(安心・安全の健康地域)づくりを目指している。

 二十一世紀を開く時代のキーワードの一つは、石木さんのような社会起業家がコミュニティ・ビジネスなどでつくり出すヘルシーコミュニティづくり(新しい地域起こし)と言えるだろう。

 それだけ、わが国の地域社会は、超少子・高齢社会に向かって、経済行為だけでは解決できない、渾沌とした社会問題を発生し続けていくだろう。

平成16年8月 特集 コミュニティ・ビジネスより

 石木さんは、3年前の上述の事業をさらに発展し、最近では健康づくりに観光を加味した「新しい温泉ツーリズムの宿、ヘルシーインあさむし」をオープンさせていました。浅虫地区(温泉コミュニィ)の中に、クリニック、グループホーム、浅めし食堂、そして”ヘルシーインあさむし”とネーミングされたヘルシーツアーもある温泉宿、まさに”ヘルシーコミュニティづくり”を等身大、身の丈サイズで実践されていました。こうした石木さんのコミュニティ・ビジネス・ネットワークですが、地域の遊休資源を活用し、地域に新しい雇用の場を作りました。次の展開がたいへん楽しみです。これに団塊世代向けの”ヘルシースクール(細内所長の勝手な夢ですが)”を追加すれば、心身ともにリフレッシュし、健康な暮らしをとり戻せることでしょう。

 そして石木さんとの夢語らいは深夜まで続きました。奥さんも交え、石木さんの夢は大きく膨らんで行きました。その談議後、温泉宿の露天風呂から見渡す夜の津軽海峡は、霙まじりでとても幻想的でした。

2007年12月 2日 (日)

新街道を行く(17)愛媛のマアナみかん

 今年の夏、愛媛県八幡浜市でコミュニティ・ビジネスのワークショップを実施したとき、参加者から「マアナのみかん」のお話がよくでてきました。当時は聞き流していたのですが、最近「マアナ」の意味がやっと分かりました。

 代々木事務所から3分ほどのところに高島屋新宿店があります。そこの地下食品売り場にフルーツ売り場がありますが、全国の有名ブランド品がところせましと置かれています。そこで目にしたのが「マアナの日の丸みかん」でした。あのマアナは「真穴」だったのです。みかん1個60円~100円ほどでしたが、まろやかな甘さで上品なみかんでした。今夏八幡浜市の街の様子を当ブログに書きましたが、いま当時の残像を確認してみますと、まちに入っていくとき、一番新しく、しかも大きな建築物は「日の丸みかん」と書かれた、たしか農協関係の施設でした。まちの経済を牽引しているのが「真穴(マアナ)の日の丸みかん」だったのを改めて再確認しました。ちなみに富士柿も八幡浜付近の名産品だそうですね。1つ購入し食しましたがフルティーな食感でした。愛媛はほんとフルーツ王国ですね。

 小生が住む東京郊外の大型スーパーでは、”愛媛みかん”や”和歌山みかん”、”熊本みかん”は置いてありますが、マアナの「日の丸みかん」は置いてなく(他のブランド品も少なく)、流通過程で美味しいものは選別されていたのですね。

2007年11月21日 (水)

新街道を行く(16) つくばエクスプレスでつくば路を行く

 昨日は、代々木の事務所から黄色の総武線に乗り、秋葉原経由で話題のつくばエクスプレス(以下、つくばX )に乗って、つくば市までいってきました(つくばで打ち合わせがありました)。

 つくばX はまさに新幹線ですね。途中に踏み切りは一切ありません。揺れもなく快適な車両でした。始発駅の秋葉原から45分であっという間に終点のつくば駅でした。車窓の眺めは途中から(沿線が)開発モードに変化し、駅前はブルで整地したばかりの黒土が目立ちました。また駅前に新規のマンションが立ち並び、ただ今販売中の旗がたなびいていました。三十数年前の田中首相時代の日本列島改造時代を思い出しました。

 以前、松戸市常盤平に住んでいたこともあり、土地勘がありましたので、周りの景色の大変化にはたいへん驚きました。街が生まれるということは、こうした光景が日々変化していくことで誕生するものなのですね。

 紫峰筑波山はいつみても気品のあるお山です。車窓から眺めると、左手に牛の爪を立てたように見えます。朝夕に山肌が紫に変化するのがとてもすばらしいですね。大昔はヤマトタケルの活躍の場、中世以降は修験道のトレーニングの場、いまは団塊世代のレクレーションの場になっています。これから紅葉がシーズンですので、秋葉原からつくばX に乗って、日帰り旅行をするにはお薦めのコースです。

 赤い柿が里の木に鈴なりになっていました。それをカラスが突っついていました。

 まさに斉藤清の木版画の世界でした。

 しかしながら、つくばの中心部は20世紀のハード中心の街づくり観が否めません。ソフトの視点をもっと入れて街を柔らかくする必要があります。

もし、私がつくばのプロデュサーならば、

1)つくば・よしもと劇場を誘致する

2)そこで一般芸人のショーのほか、科学実験のエンターティメント・ショーを毎日行う(地元の科学系研究所から研究員を派遣、研究員のエンターティメント化を図る、よしもと科学部誕生か?)

3)昔、小林一三は大阪梅田駅からの終着駅に宝塚音楽学校と遊園地を作りましたが、今、つくばでは、上記のような”つくば科学学校をNPO法人で”創りましょうか

4)また秋葉原メイド・カフェのブランチをつくばに設ける(秋葉原からメイドさんを派遣)、つくばX を利用しながら、両方が楽しめるイベントを毎日実施するとさらに面白いでしょう。

このくらいの柔らかさが今のつくばには必要でしょうか。

現代の小林一三、来たれ!

彼はたしか、甲州(商人)出身だったようです。

2007年11月18日 (日)

新街道を行く(15)岡山路を行く、真面目な公務員さん

 最近、仕事で伺う瀬戸内海の笠岡諸島には、島づくり、島おこしのためのNPO法人があります。そこの営業部長に、市役所から出向する職員のMさんがおります。

 こうした出向の公務員さんは、だんだん住民に溶け込んでくると“公務員らしさ” を失って、住民のような頼もしさが全身にみなぎってきます。顔は兵士のように日焼けし頼もしく、また身なりはネクタイを外して作業ジャンパーを着て、くつは運動靴に変わっていきます。これは仕事を一生懸命やっていることの証であり、地域に溶け込んでいる証拠でもあります。

 細内所長はまちづくりの専門家として全国各地を渡り歩いてきました。最近知的フーテンの寅さんと呼ばれていますが、まちづくりの現場では彼のような人物をよく見かけます。公務員さんを現場に動員するということは、現場が少子高齢化し、現場で動ける人材が不足している証拠で、地域コミュニティは今、大変な状況にあります。離島の若者は、高校から本土や大都市に出て行き、盆暮れ、夏休み中にしか島に戻りません。島には働き場所がないからです。

 その瀬戸内海の離島の公務員Mさんは、あるときアクシデントで指に大怪我をし、指先を切断しなくてはならなくなりました。はじめて会ったとき、不思議に思いましたが、名刺をよくよく見ると、○○市役所の職員と書いてあるではありませんか。たいへんびっくりしました。公務員さんが日常の仕事で指に大怪我をするとは、余程の重大局面があったのでしょう。

 ある酒の席で彼にこっそりとその指のことを聞き出しました。彼の話によると、その離島の石は、大阪城の石垣にも使われるほどの良質の石材なのだそうですが、彼はテレビ局の中継の準備に張り切りすぎて、テレビに映る石材を何人かで配置するとき、思わず石と石の間に大切な指先を挟んでしまったそうです。すぐにドクターヘリで本土の大学病院へ搬送されましたが、挟まれた指先はもう戻りません。

 かくして指を大怪我したMさんは、その後ますます風格もつき、よりいっそう住民の中に溶け込んで、公務員であることを忘れさせてしまうほど、少し強面の陽気なお兄さんに変身していくのでした。所長は全国各地で講演をしてきましたが、全国広しといえども、仕事で指を失った公務員さんの話はとんと聞いたことがありません。彼には気の毒にも思いますが、つねに住民のためを思い、その作業のうえで起こったこと、そのこと自体は「勲章」もので、きっとその後の島伝説になることでしょう。

 今日も陽気に鼻歌でも歌いながら、きっと顔パスの海上タクシーに乗り込んで本土から島に向かっていることでしょう(拙著『団塊世代の地域デビュー心得帳』ぎょうせい2007年に加筆・編集)。

2007年11月 4日 (日)

新街道を行く(13)山香る山形路を行く

 先週は、講演会で久しぶりに山形路に行ってきました。平日にもかかわらず、宿泊したホテルは満室で、平均の稼働率は87%を超える優良ホテルでした。客層を観察してみると、ビジネス客が60%、同窓会や会社の研修合宿が40%でした。これは朝の食堂をみれば一目瞭然でした。平日の同窓会は、団塊世代の同窓会(昭和37年◎◎中学卒業)でした。この会は地元の会で、女性の参加者が70%を占めていました。男性は会社勤めの方が参加できなかったことと、女性は子育てを終え、時間的な余裕があったからかもしれません。

 それにしても満室状態が続く秘訣は何なんでしょうか。

 1点目は競合のホテルが近くに存在しないこと、2点目は駅前立地 5分であること、3点目は24時間いつでも入れる天然かけ流し温泉が付帯していること、4点目は朝から”だだちゃ餅”をだすなど食事が比較的よいこと、5点目は宿泊料金が適正であることでしょうか。そして最後に、20歳代の若い女性がフロントをしめ、接客に華やかさがあることでしょうか。以前ある地方の温泉地に宿泊しましたが、その反対で閑古鳥が鳴いていました。食事が質素で美味しくなく、折角の温泉も23:00までしか利用できませんでした。

 流行るホテルの目安は、上記の6原則でしょうか。ただし上記山形のホテルの課題は禁煙対策が不十分で、ホテル内の公共空間がほとんど喫煙天国でした。折角、山形新幹線が全席禁煙にしたのに、客を受け入れる地元のホテルがこれでは”おもてなしのサービス”が台無しです。東京から山形までの快適空間が、駅を降りたらなくなっていたでは話になりません。一貫して筋の通った観光政策を真剣に考えないと、遠方からの客は遠のいていくことでしょう。いま、わが国の観光産業は、このような禁煙、喫煙に係わらず、地域全体でちょっとしたことへの対応、すなわちサービス水準を底上げすることが求められているのではないでしょうか。

 山形は車窓から眺める紅葉が最高でした。山がまさに香る季節でした。

2007年10月 1日 (月)

新街道を行く(11)食街道を行く

 この夏、細内所長は、愛媛県(松山、大洲、八幡浜、佐田岬、伊方)、広島県(廿日市、広島、世羅、福山、鞆の浦)、岡山県(笠岡)、埼玉県(秩父、日高)、福岡県(博多、うきは)、大分県(日田)を講演、ワークショップなどでかけめぐりました。今回は食の視点から地域の食文化を取り上げてみました。

 松山では、ホテル近くのぶらり立ち寄ったところに”鳥ポジョン”がありました。こちらの地鳥のもも肉、地鳥の刺身は最高でした。大将が薦める地鳥の刺身でしたが、あっさり味で臭みも無く、日本酒によく合いました。伊予の国・愛媛の新名物の一つでしょうか。

 大洲では、割烹樽井で”鮎雑炊”をいただきました。鵜飼で有名な大洲ですので鮎はもちろん名物ですが、鮎雑炊は美味でした。こちらの女将は名物女将らしく、所長との会話も弾みました。客に話を合わせるのがたいへん上手な方でした。お隣には元愛媛県知事がご夫婦でお食事中でした。ご自分で運転してお帰りになりました。

 八幡浜は今、”ちゃんぽん”でまちづくりをすすめていますが、この講演期間中に5店舗で試食しましたが、ズバリ”ロンドン”のちゃんぽんが一番でしょうか。ご当地のちゃんぽんは豚肉ベースのちゃんぽんが主流で、戦後肉供給が少なかったときの名残りでしょうか。魚介類は捨てるほどあったご当地ならではの”ちゃんぽん”でした。いまでは魚貝類の方が高級になりました。

 愛媛県佐田岬の先端にある民宿大岩の魚介料理は、新鮮でボリュームもあり、一層食がすすみました。ここの大将の発想はたいへんユニークで、佐田岬半島の先端にある灯台まで手前の駐車場からつり橋をかけようと夢を語っていました。そうするともっと観光客が来るということです。そして漁船による岬めぐりを客に提供し、また釣り船としても活用しています。まさに自分の庭のように使いこなしています。

 今度は広島県です。日本三景の宮島で有名な廿日市市では、なんといっても”あなご”がイチバンでしょうか。宮島口の上野商店で”あなごめし”をいただきました。江戸前のあの柔らかいあなごと違い、ご当地のものは歯ごたえがあり、日本酒に合うような食感でした。宮島ではもみじ饅頭もたいへん有名ですが、小生はご当地のあなごが日本一であると思いました。

 広島県世羅町では夢高原市場の世羅高原6次産業ネットワークが提供している”生たまごご飯”が絶品です。値段も300円と手ごろで久しぶりの生たまごご飯でした。もちろんたまごもごはんも地元産だそうです。世羅高原6次産業ネットワークは、地元の53団体でつくるコミュニティ・ビジネス・ネットワークです。農家の元気な女性たちがスクラムを組んで頑張っています。

 岡山県の笠岡市では、笠岡諸島の”しまべん”が有名になりました。笠岡諸島6島それぞれに島の弁当があります。島づくり海社の本土支店・笠岡駅前のアンテナショップで販売していますが、週1回の販売ですから、島づくり海社で確認されてから来店されるとよいでしょう。手作りのしまべんは島の海産物で一杯です。季節に応じて旬の味を確認されるとよいでしょう。

  まだまだありますが、本日はここまでにしましょう。

2007年9月26日 (水)

新街道を行く(10)ご縁は大切にしなければなりません

 先日仕事の関係で大分県の日田市に入りましたが、歴史的建造物の保存で有名な豆田地区は、車が保存地区の中まで、びゅんびゅんと入り、少し興ざめでした。正直観光気分になれなかったのが残念です。町の品格とは、こうしたところに表れるものですね。しかし一部の地域住民の方にはやさしく対応していただきました。

 そこで豆田地区にある日田土鈴の東光堂さんに入りましたが、驚いたことに先日訪れた広島県福山市の「鞆の浦」の喫茶店・深津屋さんにあったものと同じ吉四六さんの土鈴がおいてありました。びっくりしてお店の奥さんに聞いてみますと、ここで作製し、ご主人が全国に売りに歩いているそうです。

 鞆の浦の深津屋さんへも卸しているとのことでした。ご主人は四国から今ごろ鞆の浦を回っているはずですとのこと。両方とも所長がたまたま立ち寄ったお店ですが、ここで鞆の浦の喫茶店・深津屋さんとつながるとは思いもよりませんでした。吉四六さんの土鈴は、卸しているお店によって、ご主人が作りわけをしているそうです。手作りの作品には暖かみがあって心が和みます。所長は土鈴の狸と蛙、そして卵のレプリカを購入し、講演のため福岡県のうきは市にもどりました。

 世の中って狭いですね。そして不思議なものですね。所長が介在することで日田市の土鈴屋さんと鞆の浦の喫茶店さんがつながりました。ご縁は大切にしなければなりませんね。

2007年9月23日 (日)

新街道を行く(9)知的フーテンの寅さん

 先週の細内所長は、福岡県うきは市の浮羽商工会、吉井商工会から招かれ、講演に行ってきました。一度台風で流れましたので今度こそという思いがありました。

 講演前に、市内にある珍敷塚(めずらしずか)古墳の装飾壁画を見せていただきました。赤いベンガラで描かれた帆船と鳥の絵は、先日テレビで見たエジプトの壁画とそっくりでした。これでアジアがつながっていることを実感しました。エジプトから中国、朝鮮半島を経由して北部九州まで伝播しているのでしょうか。この地はさらに月岡古墳という有名な古墳があり、騎馬武者の兜や武具が多数出てきました。出土品がまちの資料館にありましたが、これらも朝鮮半島にて同じものが出土しているそうです。弥生、古墳時代のご当地にはたいへんな実力者がいたのでしょうか。耳納山地の筑後川沿いには、かって大小1千基を越える古墳があったそうですが、盗掘やその後の開墾で原型を留めている古墳は少ないそうです。うきは市は邪馬台国の探究者には羨望の地でもありました。

 ご当地は、いま田園地帯で、葡萄、梨、柿、イチゴなどフルーツの美味しい土地柄です。高速道路を使えば博多から50分ほどの立地です。家族連れの行楽客には手ごろな遊び場でしょうか。近くには、観光農園、道の駅、農家民宿、そして白壁の町並み、屋形古墳群、彼岸花溢れる棚田、さらにはラジウム温泉もあり、久しぶりに盛りだくさんのことを体験し、面白い旅でした。うきは市のみなさん、お世話になりました。

 この暑い夏の1ヶ月間は、愛媛(松山、大洲、八幡浜、佐田岬、伊方)、広島(廿日市、広島、世羅、福山、鞆の浦)、岡山(笠岡)、埼玉(秩父、日高)、福岡(博多、うきは)、大分(日田)を講演、ワークショップなどでかけめぐり、30日のうち宿泊が20日に達し、のべ28日間稼動の新記録達成でした。所長に対し、どなたかが言っていましたが、最近まさに「知的フーテンの寅さん」になってきました。

 山田洋次監督、これをモチーフにもう一度「知的フーテンの寅さん、新街道を行く」の映画をつくりませんか!! 脚本書きのお手伝いを致しますよ。

閑話休題

福岡空港で飛行機待ちをしているとき、元キャンディーズの田中好子さんがお隣におりました。マネジャー2人が脇を固めていましたのでお話しできませんでした。小生と同じ年ですが相変わらず綺麗な方でした。キャンディーズは所長の高校時代のアイドルでした。

広島駅では新幹線を降りるとき、赤井英和さんとすれ違いました。もう少しでぶつかりそうになりました。背格好は所長と同じですが、元ボクサーの赤井英和さんは強そうでした。

2007年9月19日 (水)

新街道を行く(7)世界に通用する感性都市

  椿は、わが国を代表する花のひとつです。かの聖徳太子も歌に詠んでいます。桜と並んでわが国の”国花”といっても言いすぎではないでしょうか。今回の松山滞在で目に付いたものの中に、椿神社、椿小学校、椿中学校、道後温泉の椿の湯と、松山市内にはその”椿の名”がたくさんあります。市の花にも”椿”が指定されています。欧州でもわが国から輸出された”椿”が有名だそうです。かの地では、オペラなどの題材にもなっています。

 「日本の女性は美しい」と、資生堂も新商品に「TSUBAKI」を使っています。ジャパン・ビュティは、そんな身近なところにあるものなんですね。「花椿」から「TSUBAKI」へ、資生堂は見事に意味情報の復活を果たしました。かの企業は、感性の時代をリードする企業のひとつでしょうか。

 花は人々の心を和ませてくれます。そして故人を想うには、そうした花々の中がよいのでしょうか。フラワーパークや観光農園などが、いまや人々がたくさん押し寄せる場所となりました。花いっぱいの感性空間に浸りたいのは、そこが現代人の癒しの場だからでしょう。

 地方都市も感性をどう表現するかで”世界に通用する観光都市”に変貌できるかどうか、という時代に入りました。今年松山市には「坂の上の雲ミュージアム」と「伊丹十三記念館」が完成し、世界に通用する感性都市を目指しているように感じました。夏目漱石や正岡子規の肩の上に何を乗せるかが、今後の松山の課題でしょうか。

 

新街道を行く(6)観光農園銀座を行く

 今回視察した広島県世羅町の観光農園は町内に5箇所もあり、観光農園のパワーセンター化しています。花いっぱい、感性のまちづくりでしょうか。パチンコ屋も1軒より5軒集中してある方が、集客力がつくのと同じ理論です。

 ある観光農園の入場料は一人700円でしたが、年間10万人の集客があるそうです。お土産品や飲食の販売を含めると売上高はなんと1億円前後になるそうです。見せるための花卉栽培であり、感性訴求で各農園とも花の種類の棲み分けをして、集客の工夫をしています。最近こうした観光農園やフラワーパークが花盛りですが、経営方法などさまざまな工夫をしているのも事実です。花卉そのものは販売せず、時季に即した花卉を季節ごとに回転させ、さらに見せるための工夫、感性訴求の方法などが、その一部です。

 しかし、こうした観光農園もほとんどが山間地にあり、車がないと訪れることは困難です。しかも高速道路のインターが近くに接続されているかどうかが、事業成否の分かれ目です。

閑話休題

埼玉県日高市の「高麗の里、巾着田の彼岸花」はいまが盛りでしょうか。この時季100万本の赤い花は圧巻です。この時季だけで40万人近くの日帰り客が訪れ、平日でも1日100台近い観光バスが関東各県から来るそうです。入場料200円もかかり、すっかり観光地化してしまいました。

2007年9月 9日 (日)

新街道を行く(2)伊丹記念館は楽しい

 今回の伊予の旅では、今年開館したばかりの伊丹十三記念館を訪れました。こちらは東京テイストのホスピタリティで、スタッフが素敵なおもてなしをしてくれました。黒のテイストで統一された建物の外装は、坂の上の雲記念館とは好対照で”チョイ悪オヤジの館”とでもいうべきものでしょうか。展示にも個性があり何が出てくるかワクワクしました。

 細内所長は、1978年、今から30年前、伊丹さんに長野県の上田駅でお会いし、一緒に写真に納まりました。それ以来の伊丹贔屓です。奥さんの宮本信子さんも大好きな女優さんの一人です。お似合いのご夫婦でした。

 今回の伊丹記念館の企画は奇抜でした。まず入り口では、宮本信子館長の”ご挨拶ビデオ”でした。彼女の映像は、お顔が鮮明にでますので、彼女の人生経験の数だけ ”おしわ”が発見されました。そして圧巻は”お葬式の祭壇”の展示でした。伊丹監督の”お葬式”のロケ現場再現でしたが、祭壇には少しドキっとしました。伊丹(宮本)流らしい演出でしょうか。

 これは私見ですが、ここ5年くらい毎年松山に来ていますが、生活のリズムとでもいうべき”テンポ”ですが、東京のテンポと微妙にずれているのが松山のテンポです。夏目漱石は、この松山のテンポにあわず、坊ちゃんという人物に自分を投射して表現したのでしょうか。江戸っ子には、松山のテンポが少しじれったく感じるのでしょう。

 そしてもう一つ、今回の訪問で発見したことは、伊丹十三自身が”現代の坊ちゃん”だったことでした。彼は京都生まれで、父親は有名な映画監督、父親の死にともない父の郷里松山で少年時代を過ごしますが、松山の高校時代の記念写真にはみんなが制服のなか、彼一人だけが私服で写っています。彼の人生遍歴から直感的にそう感じました。現代の坊ちゃんは伊丹十三だったのです。そう感じさせる伊丹十三記念館でした。

2007年7月27日 (金)

ボランタリーな意思を持って地域社会へ

 最近、わが国もお金持ちや時間持ちのシニアが増えています。リタイア後の人生を豊かに過ごそうと趣味の世界を広げたり、地域でのボランティア活動に取り組んだりしているシニアの姿を町のあちこちで見かけるようになりました。またシニア夫婦が長期間にわたって海外に滞在するのも当たり前になってきました。日本も豊かになったというのが実感です。こうしたことは欧米流のライフスタイルが一般市民にまで浸透してきたことへのあらわれでしょう。

しかし、一方、格差社会の高まり、年金を始めとした社会保障制度のゆらぎなど、社会不安の増大が気がかりです。そして、こうした欧米流のライフスタイルのなかでやや欠けているものがあるとすれば、それは個人の自発的な精神ではないでしょうか。個人のボランタリーな意志が欠けているといってもいいでしょう。これは、個人の意思を明確にしないという日本文化からきているのかもしれません。

たとえば、それは地域社会への個人の自発的な参加であったり、地域社会へのボランタリーな貢献であったりします。会社コミュニティで40年間にわたり活躍してきた企業戦士には、家庭や地域社会への接点を見失ってしまった人が少なくありません。彼らが今日の日本の経済的な豊かさを創り出したといっても過言ではないでしょう。高度経済成長期の職住が分離された働き方、暮し方では仕方がなかったのかもしれません。むしろそうした価値観が当時は主流でした。

 しかしながら、日本が本当の意味で精神的に豊かな市民社会を迎えるには、“個人のボランタリーな意思の発意”が必要不可欠であり、そのことを尊重しなければならないでしょう。学校教育や地域教育にいま一番必要なのは、このボランタリーな意思の発意を子供のうちからいかに訓練していくかということです。そして、そのことを尊重する精神的な風土の醸成が不可欠です。

 いままで会社コミュニティで暮してきた団塊世代の方は、今後孫と手を取り合い、個人のボランタリーな意思を持って地域社会へ第一歩を踏み出して欲しいものです。孫世代の子供たちや地域の人々との協働や相互学習を通じ、第二の人生の扉が地域コミュニティで大きく開くことになるからです(拙著「みんなが主役のコミュニティ・ビジネス」ぎょうせいに加筆して編集)。

2007年7月11日 (水)

移住は、まずはお試しがよいですよ

 最近、離島の島おこしの仕事で、島民人口を増やすための団塊世代の移住がよく話題になります。そうした国内移住で快適に楽しく暮らすにはどうしたらよいでしょうか。テレビをつければ「田舎暮らし」の番組が毎日のように放送されるようになりました。地方は海のもの、山のものが、新鮮で豊富。空気もおいしく、暮らしのリズムもゆったりとしています。夫婦でのんびり温泉にでもつかり、そば打ちやロクロ廻しでもしながら、第二の人生を楽しく、面白く暮らしてみませんか、というテレビ番組が毎日のように流れています。

 しかし、それで本当に幸せになれるのでしょうか。テレビで見る田舎暮らしは断片的な光景で、決してバラ色とは言い切れないでしょう。生活するにはお金もかかるし、近所付き合いもしなければなりません。特に田舎暮らしには濃密な人間関係が求められます。東京などに代表される都市生活の便利さになれた方には、不便が売りものの田舎暮らしは少し酷かもしれません。田舎暮らしから逃げ帰った人も大勢聞きます。仙人としての移住は一人でできますが、ご夫婦で移住するとなると大変です。家財道具ばかりでなく、義理や人情も背負っていかなければならず、親友との別れ、子供たちとの別れなどが付いてまわります。見知らぬ土地でまわりに馴染めず、奥さんだけ都会に戻ってきた、なんてならないように細心の準備が必要でしょう。

Shimagurashi_2

 離島や中山間地では「定年退職者さん、いらっしゃい」ということで、みなさんをお待ちしています。移住を即断するのではなく、まずは1か月でもいいからお試しで住んでみることです。今やお試し婚もあるくらいですから。田舎離婚はさけなければなりません。しかし住めば都です。離島や田舎暮らしもなかなか良いものです。

2007年6月 8日 (金)

観光も薄利多売のビジネス・モデル

 細内所長は、講演旅行で北は北海道から南は九州まで、国内をくまなく歩いている。そうなると”旅の達人”といってもおかしくない。現地までの最適ルートや格安運賃を導き出すデータベースが常にインプットされているのだ。

 仮にいま3万円あるとすると、日本国内ならどこへでも1泊2日の旅が可能。オフシーズンの北海道、九州、沖縄なら東京から2泊3日の旅も可能である。中国、韓国、香港などの海外旅行まで、3万円前後の旅が可能である。

 また、東京から関東近県へのバスツアーなら、3千円前後から1万円未満まで、食事付もしくは宿泊付きのコースが用意されている。単独で飛行機、新幹線の正規チケットを取ったほうがはるかに高くなる。いまや正規料金はあってないようなものだ。

 こうした状況の中で各地の観光地には、薄利多売のビジネス・モデルが多数用意されることになるが、はたしてそれで本当のおもてなしができるのだろうか。そして、顧客は満足するのだろうか。

 観光の世界でも顧客へのサービス格差が蔓延している。今後の超・高齢社会における観光ツーリズムは、ゆったりとした時間の中で体験する、そこでしか味わえない生活サービスの良さが求められることになるだろう。

 今までの単に早くて、価格が安いというだけの価値観では、よりよいサービスは生まれてこない。観光開発事業者も、現地での生活の良さを体験させる“生活観光”という視点をしっかりと見極めた新しい商品開発が求められる昨今である。

2007年5月20日 (日)

今に生きる三方よしの精神

 2年近く前、滋賀県栗東市の女性起業家を訪問した帰路のこと、お隣の近江八幡市に立ち寄った。近江八幡さんで有名な日牟礼八幡 (ひむれはちまん)があり、近江商人の厚い信仰を集めてきた。へっぽこ先生、寄り道をしてJR近江八幡駅前に降り立った。近江八幡駅はどこにでもある地方都市の駅前とあまり代わりばえしない。むしろ観光案内はすぐに見あたらず、人影も少なく商売気のない町のように見えた。近江商人は途絶えてしまったのか。そんな八幡さんまでそっけない一本道の町並みをテクテクと20分ほど歩いただろうか、初夏のこともあり汗びっしょりであった。旧市街の日牟礼八幡まで住宅が並ぶだけでほんと何もない町である。途中コンビニと総合スーパーを一軒ずつ見かけただけである。ところが八幡さんの両脇には和菓子屋と洋菓子屋があり、疲労回復に店内で涼んでいると店員さんが椅子のある場所に誘導してくれた。店内は観光客で大盛況である。いま流行りのパテシエがところせましと動き回っている。へっぽこ先生もやっと元気が出てきてバームクーへンを購入し帰り支度をした。しかし駅からここに来るまでの30分を考えると、帰りはクーラーの効いたタクシーにしたい。店員さんにタクシーを呼んでもらい、しばらく店で待機した。店員さんの対応もよく、気分よく帰れそうだ。間もなくタクシーが来て店員に見送られて乗り込んだ。ここまではよくある話しだ。ことは降りるときに起きた。ドライバーさんが料金を取らないのである。日牟礼八幡さんのお隣にある洋菓子屋さんからもらっているから結構ですというのである。そこに現代の近江商人を見た。損して得(徳)取れの精神、三方よし(客よし、店よし、世間よし)の精神、現代の近江商人の心意気を垣間見た気がしたのである。今回お店は商品を購入してもらい(お車代を負担し)、へっぽこ先生はおもてなしのサービスを受けて満足し、タクシードライバー(世間)さんには仕事が生まれた。まさに三方よしの精神である。(拙著「みんなが主役のコミュニティ・ビジネス」ぎょうせい 2006年 に加筆して作成)

2007年5月14日 (月)

尾張名古屋は人でもつ

 2006年実績でトヨタが世界一の自動車メーカーになったそうだ。へっぽこ先生、2005年度「名古屋の将来を語る懇談会」のメンバーに名古屋市より任命された。何を議論したかというと、25年後の名古屋を見越す議論を展開した。時代の先読みをする各界の有識者を各地から召集したそうだ。勝ち組の名古屋は25年先を見据えてもう先読みをしている。勝っている(地域力がある)からこそ、将来が見えてくるものだ。名古屋を広域的に見れば愛知県であり、昔の尾張・三河地方にあたる。いまでも尾張名古屋は城でもつと言われるが、愛知県は人でもつ気風に溢れている。

 実はこのこと今に始まったことではない。武家社会を構築した源頼朝(河内源氏)は熱田神宮の生まれ、信長、秀吉、家康の戦国勝ち抜き3人衆も今風にいえば愛知県人、その後の豊田佐吉(子供の頃、偉人伝をたくさん読むとよい)(生まれは静岡、名古屋で活躍)も機を織る母の苦労から自動織機を発明し、その織機(ハタ)屋から世界のクルマメーカー・トヨタが生まれている。時代の先を読む天才・奇才が愛知県、名古屋地方から多数誕生している。かくして尾張名古屋はヤマトタケルの古来から人でもつのである。そして名古屋は日本のパワーの源である。(拙著「みんなが主役のCB」ぎょうせいに加筆)。