日記・コラム・つぶやき

2019年3月20日 (水)

今年も総務省地域情報化アドバイザー全体会議に(12期目(2007~2019年))出席してきました

今年も、総務省委嘱の地域情報化アドバイザー全体会議に出席してきました。
さあ、どこにいるかな。いつもの定位置にいます。
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2019年3月16日 (土)

人生山あり、谷あり、100年時代、これからが本番だ。

還暦を過ぎると、いろいろ過去の苦い経験が脳裏をかすめる。

シンクタンク研究員時代に管理職研究員として賞与一律カットがあった。親会社の業績で子会社の賞与は大きく影響を受けるものだ。
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大学教員7校(兼任講師含む)を経験したが、ある大学の事務室の新聞が突然配達を停止した(今は学生募集も回復し、学校経営は安定している)。それは学校経営上の経費カットの一環だったが、教職員に激震が走った。
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サラリーマン研究員から独立するとき、マンションローンがあったが、必死になって働いた。40代ながら、当時は馬力もあり、さして不安はなかった。
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独立後、都内で1日に3回講演をしたことがある。体力的にも平気だった。
テレビの生出演後、放送局から直接次の講演会場に向かったことがある。それほど忙しかった。
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また奄美諸島での講演会では台風の影響で帰京できず、2日延泊したこともあった。飛行機が飛ばず、講演会場に向かえないこともあった。講演会・セミナーの回数はとうとう3,000回に迫った。研究員歴30数年では当然だ。
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年間講演120回と大学教員3校で週5コマの月28日フル稼働の日々が、5年間続いた。身体に鉛がぶら下るような日々だった。
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独立後の10年間は必死に働いた。
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が、しかし3.11以降は身の丈サイズの稼働に戻った。
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そしていま還暦を過ぎて、新境地の道を拓こうとしている。
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多くの苦難を経験し、人生100年時代、これからが本番だ。
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イギリスの「レッツ リンク UK」の事務局長さんとポーツマスのレッツ本部にて(右側は同行の村山君・当時一橋大学大学院生、現在福岡県立大学教授)、詳しいレポートは次の書籍に収められている。

コミュニティ・ビジネス<大好評にて8刷出来、累計1万部発行!>
コミュニティ・ビジネスの原点がここにある

コミュニティ・ビジネスの提唱者が薦める渾身の名著

●細内信孝(著)●
地域力の向上が時代を拓く! 地域コミュニティのもつ基礎集団としての役割や機能がいま改めて見直されようとしている。 住民自治による新たな社会開発を模索し閉塞する時代を地域力で乗り切る方途に迫る!
  • コミュニティ・ビジネスには、自己雇用によって生きがいや働きがいを生み出す 効果と、スモールビジネスを通して地域コミュニティに貢献できるという利点があ ります。行き場を失った人たちの受け皿の基点になることで、地域コミュニティの良さも再び見直されます。今の日本社会には安心して暮らせる”すみか”、す なわち地域コミュニティが必要なのではないでしょうか。無理をせず”なりわい”を産む小さな仕事が、本当に必要になってきているのです。
  • (本書「あとがき」より)
中央大学出版部/定価2,000円(税別) ISBN4-8057-6135-0
四六判 1999年10月発行
(細内所長は、中央大学法学部の兼任講師を務めておりました)

2019年2月11日 (月)

一流の人の話は、20代後半から30代にかけて積極的に聴こう

2月8日に堺屋さんが鬼籍入りされた。

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団塊世代や知価社会、好縁社会など、彼は、新語造語を生み出す稀代のクリエーターであった。
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そんな堺屋さんに20数年前のシンクタンク研究員時代にあるパーティでお会いしたことがある。右手に水割りのグラスを持ち、左手に80枚くらいになった会場の参加者から頂いた名刺の束を抱えていた。名刺交換ではなく、堺屋さんを目指して名刺を差し出す参加者が彼の前に列をなしていたのである。
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私も自分の名刺1枚を用意し、1つ質問を投げかけてみた。日本経済の動向である。3分ほどであったが、明快な回答が返ってきたのを覚えている。ご冥福を祈る、合掌。
東京侍の提言:時代の先端をきり拓く人の話しは、20代後半から30代にかけて積極的に聴こう!そして質問をしよう。何かが得られるはずだ。
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東京侍とは:http://tokyosamurai.jp/
Jリーグ発足前後のある会合で当時チァーマンであった川淵三郎さんに質問を投げかけたことがある。私の直球は、「ここまでサッカーのプロ化の活動を継続してやってきたもの(動かすもの)は何ですか?」とややストレートすぎる質問であった。
川淵さん曰く、「それは、パンション(熱意)ですよ。継続してパッションを持ち続けることです。」と、こちらも明快に返答されたのを、今でもはっきりと覚えている。
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東京侍の提言:一流人は、明確に自分の意見を持っている。
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2019年2月 8日 (金)

世界的な仕事を成し遂げるプロの仕事に触れる

 東京侍の提言:一流の仕事を成し遂げる人々に触れることは大変刺激になることであ
東京侍とは:http://tokyosamurai.jp/

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 これは、東京青山で行われた水の波紋(1995年5月22日)のイベントに同行させていただいた時に、世界的現代アートのキュレーター、ヤン・フートさんからもらった名刺とサイン。
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次に、北京オリンピックの開会式に花火の演出をした國強さんの名刺とサイン。

私が一対一でお話しをしたとき(1995年6月30日)、彼は日本語がとても上手でした。

当時日本の土浦にアトリエがあると話しをしていました。温和な感じが印象に残っています。

2018年11月24日 (土)

ふるさと納税の返礼品は、新嘗祭の奉納品を参考に!

勤労感謝の日、明治神宮は平日の2倍の参拝者があった。その半分以上は外国の人である。そして回廊には、新嘗祭の奉納品が全国から大集合していた。全国各地の特産品・農産物が一目で分かる絶好の機会だ。
地域の特性を知るには、ふるさと納税の返礼品よりも、こちらの方がたいへん勉強になる。それは本物の特産品だからだ。

ふるさと納税の返礼品は、こうした新嘗祭の奉納品を参考にして欲しいものだ。

本日は結婚式も多く、その行列が何組も目の前を通り過ぎた。さぞお日柄も良いのであろう。

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2018年11月 3日 (土)

鹿児島における椋鳩十さんの足跡を知る

元鹿児島県立図書館長・動物文学作家・椋鳩十(長野県喬木村出身)の愛したうなぎ屋でうな重を堪能してきました。

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彼の代表作「片耳のおおしか」「大造じいさんとガン」などが、小学校の教科書に収録。

屋久島の鹿を題材にした片耳の大鹿は、子供の観察眼を養う。
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椋鳩十がかって勤務していた鹿児島県立図書館・館長室(今は県立博物館)に、特別に入室が許され、館長室で記念写真を撮ってもらいました。
館長室の背景の絵は、桜島の大正年間の大噴火だそうです。
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画像に含まれている可能性があるもの:2人、座ってる(複数の人)、テーブル、室内
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、空、屋外、自然
画像に含まれている可能性があるもの:立ってる(複数の人)、木、夜、植物、屋外
細内 信孝

行ってきました鹿児島へ。食べてきました山形屋食堂の焼きそばを。地域づくりの話しをしてきました鹿児島国際大学附置地域総合研究所で。学んできました西郷どんの『敬天愛人』を。

鹿児島の経済、文化を探究する

行ってきました鹿児島へ

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食べてきました山形屋食堂の焼きそば

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鹿児島国際大学附置地域総合研究所にて

地域づくりの話をしてきました

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鹿児島国際大学のキャンパスから桜島を望む

学んできました西郷ドンの「敬天愛人」

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天を敬い、人を愛す

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今風に言えば信玄と同じコンセプト

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2018年9月25日 (火)

昔の結婚式の行列は長かった

昔のキツネの嫁入りではないが、結婚式の行列は長かった。しかし昨今の行列は、少子化と簡素化の影響なのか、その行列は年々短くなっているようだ。

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これ経済縮小の始まりなり。消費量や税収が縮小するなら、その母数を増やすか、消費税率を上げるか、2者択一となる。当然来年10月から税率は8%から10%へという流れになる。
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この式場は一人3万円を超える。招待客の人数にもよるが1回の式披露宴で優に500万円は飛んでいく勘定だ。
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2018年8月31日 (金)

人生の転換点を上手くつかむことがプロの生き方だ

いま人生に成功をおさめている人物の生きざまを研究している。

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その成功への共通点を探究しているといっても良いだろう。
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彼らも多くの失敗のもとに這い上がって、苦しんだ末に徳を獲得した。やがて王道を得るのである。
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戦国時代の斎藤道三も織田信長も、最初は徳を求めて領国経営をはじめるが、結局は自ら蒔いた種、覇権主義によってその生涯を閉じることになる。
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成功者(プロ)には必ず人生の転換点がある
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ある人は、海外視察で出かけたフランス旅行をきっかけに人マネをしない、人と違ってよい、人間は一人ひとり能力が違うことに気づく。彼は、今までの自分が世間に対しても、学校に対しても、周りに合わせることで卑屈になっていた。そんな自分に気が付いたのである。そこから彼の人生、ビジネスは前向きに回りはじめる。
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もう一人の人生の転換点は、自分の行動に違和感を覚えたある人の話し。競争社会の中で勝者になることを人生最大の目標にしてきた彼は、何をやっても一生懸命に取り組み、大方はその世界で一番になっていった。しかし中年にさしかかると、そうした生き方に疑問を持つようになった。勝者はいずれ敗者になる。覇権主義的な生き方では、先が見えてしまう。自分の心にあった等身大の生き方、競争相手が存在しない、言わば、相手(顧客)の顔がよく見える”徳による行い”に転換しよう、と心に誓ったその日から、彼の行動はまわりの人々に優しくなっていった。
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三人目のその人は、若いころ始めた事業で、産地までトラックをチャーターしてジャガイモを買い付けに行ったが、売れ残りが出てしまい、近所の八百屋よりも早く痛んでいくのを目の当りにした。農薬や化学肥料を使わない農産物は本物で野性味に溢れたいへん美味しいが、反面傷みやすく、鮮度管理が大切であることを身をもって知ったわけだ。しかし彼はこんなにも美味しい農産物を欲しがる人が大消費地東京にはたくさんいるはずだ、と確信をもって有機農産物の販売事業を本格化したのである。これも彼にとって人生の一大転換点であった。
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こうして人生の転換点に気づく人は幸せである。一生気づかずに終える人の方が圧倒的に多い昨今である。
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昭和の時代、若者なら誰もが日本一を目指す風が吹いていた。そんな日本一を目指す八百屋、魚屋、和菓子屋、寿司屋、フランス料理店などが出てこない、活力の乏しい社会(商店街)になってしまった。いま全国各地の衰退する商店街は同じ顔をしたチェーン店ばかりだ。
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私の転換点:企業の主任研究員を辞して、独立したときに出した書籍が、いまの自分を支えている。仲間の協力もあり、この書籍はおかげさまで13刷りまで版を重ねた。
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2018年7月25日 (水)

ぼくの好きなパン屋さん

良い仕事には、良い職場

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良い職場には、良い笑顔
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良い笑顔には、おいしいパン
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ぼくの好きなパン屋さん
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ぼくは今日も行く、麦の穂のパン屋さん
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☆彡

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