日記・コラム・つぶやき

2020年10月19日 (月)

講演前のひととき、太平山神社

昨日は、栃木市での講演会前、主催者さん(田村律之介顕彰会)により太平山神社を案内してもらいました。

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そこには103年前の当方より4代前の母方の高祖父(かんぴょう問屋)らが奉納した壬生町干瓢商組合(栃木県は、かんぴょうの生産高が日本一の県)の額が掲げられ、高祖父の名前をそこに発見しました。大感激です。そして103年前という、いにしえの世の業界活況に想いをふくらませました(昔は小さな町でも活気があった)。しかし母の実家は戦後の農地解放で多くの土地・農地を失い、今は壬生町にない。

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103年前に奉納されたもの、問屋の欄に高祖父の名前を見つける

かんぴょうもビール麦も栃木の風土から生まれた風土産業を形成している

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太平山神社のあじさい参道の途中にある田村律之介の胸像

栃木の風景(黄金色のじゅうたんに染まる)を変えたビール麦王の田村律之介像前にて(脇に田村律之介の業績が書かれた看板があると更によいよね)

このまちとはご縁が深くなりそうです。

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2020年9月 3日 (木)

菅義偉長官の公約施策と細内信孝のスローガン『共に生きる社会を目指して、自立、自助、共助、公助の仕組を一緒につくりましょう』の違いは?


9月2日(水曜日)昨日の菅義偉官房長官の自民党総裁選立候補会見を聞いていて、どこかで誰かが言っている政策と同じだなと感じた。地域振興、地方の活性化という目標が同じ?方向性だから仕方がないか、しかし、こっちが先だからね(笑い!以前にコミュニティ・ビジネス(CB)の基本的な考え方や展開の仕方を第三者にまねされたことが多々あったから)。しかし、その会見内容を聴いてみると、意外と菅さんとは地域振興、地方活性化の考え方であい通じることがあるのかな?と思った次第だ。
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令和元年から農山漁村のアドバイザーとして青森県庁に登録された小生のひとことPRを紹介しよう。
ご笑覧あれ!心ある人々よ。
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CBで自立、自助し、共助、公助のセーフティネットで共に生きる社会を一緒に創ろう!
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*はじめは、社会的弱者(失業者など)も働ける社会的企業の設立やCBで自立する(多足のわらじを増やす)中間所得層を増やしながら、そして地域に地域レートによる地域通貨をベースにした社会的企業を沢山作り、それらを核にして地域で自律できる企業体や多足のわらじを主体にした個人を繋いでいく、それが私の考え方だ。⇒http://www.hosouchi.com/aboutus.html
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CBコンセプト・ストーリー

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CBの考え方もしかり、官庁よりもこっちが先に書籍発行・『コミュニティ・ビジネス』中央大学出版部や全国展開のCB公開講座、全国の自治体や商工会議所・商工会などから依頼を受けて、講演会活動(2,000回を超える回数)を通して、私は1994年から「クローズアップ現代」などのテレビ出演新聞への寄稿、大学と連携した公開講座の共催を実施し、CBの社会的普及活動を現在も実施しているが、ウィッキペディアではその作成者の無知なのか?当方達,CBN社会的普及活動には一切触れていないのが、たいへん不思議でとても残念なことである。
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細内所長が、国・中央官庁に対しCB普及の支援活動をしたものに次のようなものがある。
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3.独立行政法人経済産業研究所:細内のCBに関する講演会。講演録(PDF)は、こちら
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5.国土交通省:「平成14年度地域活性化貢献表彰」表彰式 記念講演:細内 信孝演題『地域を元気にするコミュニティ・ビジネス』
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7.内閣府:細内の沖縄ソーシャルビジネスフォーラム講演会(内閣府主催)

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8.総務省:13年間にわたり総務省の地域情報化アドバイザーを委嘱される(2007年4月~2020年3月)

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9.総務省:総務省の地域情報化評価会(ユビキタスタウン構想推進事業)委員に任命される(2009年)

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10.総務省:総務省のICT地域マネージャーに任命される(2016年)

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11.内閣府:内閣府女性起業アドバイザー(男女共同参画局地域活性化事例研究事業アドバイザー)2006年


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12.厚生労働省:厚生労働省の雇用創出企画会議委員に任命される(2003年)

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経済企画庁(2000年)の経済白書作成でCBレクチャーの協力(その後、本当に表紙が真っ白な白書が送られてきた)や省庁の外郭団体における講演、講義など、中央官庁への協力はまだまだあるが、とりあえずここまでとする。

☆彡

2020年7月27日 (月)

第1399回の細内ブログ そろそろ足るを知ったらどうか?地域で足るを知る経済、コミュニティ・ビジネス

昭和20年の日本の人口は約7200万人だった。この年結核で亡くなる人は年間17万人もいた。

2020年の日本の人口は1億2400万人。そしてわが国の人口ピークは2005年ころに迎えていた。

そして最近まで、もっともっとの欲望経済が渦を巻いていた。ところがコロナ禍旋風が吹き荒れてみんな苦しんでいる。

そろそろ足るを知って、身の丈でたおやかに生きればいいじゃないか、とふと思う今日この頃である。

たとえば子供の運動会。かけっこ3位じゃだめなんですか?

6位だって全力で完走すれば立派なもの。子供を褒めてあげよう。

車のエンジン。アクセルとブレーキを同時に踏み続けると故障する。

ましてや人間ならぼっコワレル

持続可能な地域は他と比較しないことから始まる

他と比較することから優越が生まれ、差別意識が始まる。

大きな極を作らないこと、スモールイズスマート、で多極分散の多重多層の地域コミュニティが美しい(「新版コミュニティ・ビジネス」の第5章が詳しい)

昔むかしの野沢温泉村には村営の水力発電所が在ったとさ。

これがヒント、明治時代のコミュニティ・ビジネスさ(昔に戻ることではない)。

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人生100年時代は等身大のシンプルライフが一番よい。大仙古墳出土の女性の埴輪

2020年6月 1日 (月)

無欲は有欲のはじめなり

有欲は、無欲のはじめなり
 
そして無欲は、有欲のはじめなり
 
こうして円い円満な欲が誕生する

細内信孝

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自然界は時折世直しの嵐を起こし、自然界の持続を保とうとします。そこでは、自然界の持続性と人間の望む成長性は鬩ぎ合い、人間はその山を乗り越えようと自然界に挑戦し、やがて自然と調和をしてきました。

細内信孝

 

2020年4月30日 (木)

コロナウイルスと情報理論には何らかの相関関係があるもの、と考える

4月も今日30日で満了。

当サイトへの今月アクセスのない県を確認してみたら、47都道府県中に4県あった。

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@niftyココログでは次のように規定している。

全体のアクセス数に対する、都道府県別のアクセス数の割合を表示しています。どの都道府県からのアクセス数が多いかを確認できます。

ではアクセスのない県の特徴を考察してみると、比較的人口が少なく、人口密度も少ない県である。

それは、岩手県、石川県、島根県、高知県の4県である。あとはずべての都道府県から当ブログにアクセスを頂いている。前述のアクセスのない県は、過去にアクセスがあったし、講演の仕事で4県とも訪れている。たまたまなのかもしれない。

もう一つの相関関係は、コロナ罹患者の少ない県(ただし石川県は除く、これは北陸新幹線の影響で異常値か?)である。

感染症は、人と人との接触密度の濃さでウイルス(情報)が移動し、発病するという。

ウイルスと情報理論には、何らかの相関関係があるものと考える昨今である。

2020年4月23日 (木)

オムロンの立石義雄さんのご逝去を惜しむ


私は、26年前になるが、オムロングループの生活文化の研究所研究課長として中途入社し、7年間在籍したことがある。当時立石義雄さんがオムロンの21世紀戦略を考えるグループ内研究所の会長を務めていた。入社のきっかけは、立石義雄著『最適化社会へ』PHP研究所 1993年10月を読んで感銘を受け、立石さんへ直接手紙を書いたことに始まる。銀行系研究所からメーカー系研究所への転籍であった。
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☆会長と談笑する筆者(1994年)
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私のコミュニティ・ビジネスの根幹には、立石義雄さんのベンチャー精神とソーシャルニーズの事業化がある。また「オムロンは理念先行型の企業コンセプトで行く」という立石会長の言葉が強く印象に残っている。このオムロイズムが、私のその後(独立後)のコミュニティ・ビジネス論(理念先行型コンセプト)構築に大きなインパクトを与え続けている。
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☆その後、筆者の国際招待講演での一コマ(2016年)
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私の最初の書籍「コミュニティ・ビジネス」(中央大学出版部 1999年発行)は、当時HRI会長であった立石義雄さんに直接手渡したが、今でもその時の最後の言葉を覚えている。『ありがとう、次もがんばれよ!』と。
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自称同志社大学能学部出身の豪放磊落の人だった。
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ご冥福をお祈りする。
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合掌

2019年12月24日 (火)

寅さんに見る、起業家教育は、みんなの根本精神を変えなきゃあ、変わらない

先日テレビで「少年寅次郎」が放映されていた。少年期の寅次郎の時代(昭和の初めころ~終戦後まで)から現在まで、わが国では、子供がお金を稼ごうとするとき、大人からたしなまれるシーンが多い。

少年寅次郎は江戸川でウナギを釣ることを得意としていた。生活費に困窮している友人と一緒にウナギ釣りをして、釣り上げたウナギを近所の料亭に売り、現金収入を得ていたのだ(実は釣り上げたウナギを金に換え、それによって友人の生活費を工面し、手助けをしていた)。

釣ったウナギを売って現金を得ていたことが母親に見つかり、「子供のうちからそんな下品なことをするものでない!(当方の意訳)」とこっぴどく怒られるのである。

この大人から見た下品なマインドは、いまの起業家育成マインドにはそぐわないものと小生には見えた。

いま子供のうちから起業に関する理屈やマインド育成を小学校や中学校、高校で教えても、ジジババ世代、親世代のマインドを変えない限り、すなわち子供が金を稼ぐことを下品なもの、はしたないものという価値観を変えない限り、すぐには変わらないのである。

囲碁や将棋の世界に、そしてスポーツの世界に子供のプロが生まれる時代だが、3世代にわたる”価値の転換”が起きない限り、日本社会の起業家マインド、そして新規開業率は相変わらず5%台のままであろう。現在、大方の国民のマインドは寄らば大樹が基本だ。

欧米先進国の新規開業率10%に追い付くには、子供のうちから目的に合わせて手段を考えさせ、良しとする事業(大人の目から見ても適正な事業)なら子供のうちからプロとアマの垣根を取り外すことが肝要ではないか、と私は考える。

寅次郎は実の父親とそりが合わず、中学を卒業と同時に家を出て、バナナのたたき売りから全国を回る的屋の道(毎日起業しているようなもの)を歩んでいくことになるが、その後の活躍は、松竹映画『男はつらいよ』(山田洋次監督)のフーテンの寅さんの通りである。

この令和元年12月27日に再び寅さんが劇場に帰ってくる。50作目の「男はつらいよ お帰り!寅さん」だ。

寅さんの起業家マインドを劇場でじっくりと見てみようではないか!

☆彡

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*画像をクリックすると拡大します

☆そういえば岡山県の城下町津山にも寅さんが来たね

 私も、全国を講演セミナーで回る寅さん家業だ

 

 

 

 

2019年11月26日 (火)

世の中、スマート化流行り

世の中、只今スマート化の流れだ。

最近日本国の政府専用機も大型のジャンボジェット機から777などの中型機に機種変更された。

また地方都市では千人規模の文化ホールから400人~500人収容の中型の文化ホールが、その稼働率と収益率を上げている。

東京銀座の歌舞伎座の収容人数は1800人だが、それに対し東京郊外部の400人規模の文化ホールは、興業リスクを低減し、音響設備をさらに整え、ますます集客を容易いものにしている。

江戸のむかしから興行をうつことは、たいへん難しい仕事である。毎日お客を呼ばなければならない。集客するためにさまざまな創意工夫が求められる。幕間に弁当を売れば、それが幕の内弁当となり、太鼓をうてばそれが観客席の料金が安くなるよ、という合図だ。こうして興行文化は作られていった。

アイコンタクトの通じる日本では、当然興行はどんぶり勘定になりがちだ。

米国のようなエンターテイメント・ビジネスにはまだ至ってない。しかし1980年以降、TDLの開園やJリーグの発足、日米野球の交流、プロスポーツ化、東京五輪などで、わが国もそのスキームを整えつつある。

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そして世のお会社は、わが国の人口減少に伴い、今後市場のパイが縮小するだろうという予測から、海外進出、売上至上主義から利益志向へと、その潮目の変化にのって、組織のスマート化へと大きく乗り出している。

企業の内部留保はすでに450兆円を越えるほど、たっぷり貯めこんだ。

すでにお会社はスマート化して日本の人口減少社会に備えている。

 

 

 

 

2019年11月 4日 (月)

あの人の心に残る珠玉の一言その4、福井謙一ノーベル化学賞受賞者

2019年ノーベル化学賞に日本の吉野先生の受賞が決定したが、化学賞は日本人の受賞者が多い分野の一つである。

ノーベル化学賞のニュースの度に思い出されるのは、日本人で最初にノーベル化学賞を受賞された福井謙一先生のことである。今から25年前になるだろうか。

小生、福井謙一先生の前座講演をしたことがあり、私の講演人生から見ても、そのことが私の矜持の一つになっている。

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*以下、画像をクリックすると拡大します

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それは、大分で行われた豊の国シンポ94である。

テーマは『21世紀をクリエイトする発想の原点を探る』と題して開催されたもので、当時京都大学の基礎化学研究所所長をされていた福井謙一先生が招聘され、ノーベル賞の受賞テーマ「フロンティア理論」について講演されたが、その前座講演の何人かの講演者たちのトップをきって、小生も『情報財の価値について』と題して、講演した時のものが次に掲げる写真である。

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後日送られてきたシンポ、講演の内容をまとめたブックレット

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当日関係者に配付された福井謙一先生の自筆の講演原稿

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☆彡

当日の講演録は、正式に『豊の国シンポ94』ブックレットとして写真のような黄色い小冊子になっている。

シンポジウム終了後、事務局さんの計らいで福井謙一先生たちと食事をご一緒したが、新しいことに挑戦するのが真の研究者であるという力強い言葉を頂いたのが、今でも心に強く残っている。そして関アジと関サバの生きのよい食味も忘れ難い思い出である。

☆彡

2019年10月 6日 (日)

北関東の茨城、栃木、群馬は、なぜ国民への魅力度や印象が薄いのか

東京から見た田舎は、ずばり北関東3県の茨城県、栃木県、群馬県である。

そして東京人(地方から出てきた都民たちと千葉県、埼玉県、神奈川県に住む一部の人達は、東京都民であると思い込んでいる)から見た宮崎県、高知県、岡山県、秋田県、岩手県(この5県選定には意図がありません)などは田舎ではない。それらはあくまで地方の一つである。だから政府は”地方創生”を政策の一つに掲げているが、田舎創生は掲げていない。

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シティセールスはバスの広告にも及び競争激化だ

*画像をクリックすると拡大します

そうした東京人は、自分の生活圏である東京都を生活基盤とするが、東京の”田舎地”である北関東にはめったに出かけないよって北関東3県は彼らにとって、とても印象が薄いのである

また東京人のバケーションは、北関東の田舎地域に行かず、地方や海外に行くますます北関東3県は印象が薄くなるのである。

そして戦後ずーっと、北関東3県は全国に波及する情報発信手段を自ら持たなかったし持つ必要も生じなかった。その一つに例えば、我がふるさと栃木県はつい最近まで県内をカバーする独自の民放テレビ局がなかった。半面東京人と同じテレビ映像がすべて映るという”都会田舎(とかいなか)”という、半ば茶化されたキーワードに自己満足していた。プロスポーツチームも同様で、最近まで県内にプロスポーツチームは誕生していなかった。プロスポーツチームの誕生は、全国の都道府県の中でもかなり遅い方であるこれでは栃木県としてのアイデンティは育たないし、また東京人(自称都民も含む)や地方人から見ても、また栃木県にほぼ類似する北関東の茨城県、群馬県も同様に、東京の田舎地域はまったく印象に残らないのである。

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*画像をクリックすると拡大します

これには、江戸時代に起因する歴史的背景がある。徳川の支配地が関東地方の大部分を占めていたが、特に北関東3県は、徳川の親衛隊である旗本領地が大多数を占めていた。たとえば一つの村を旗本複数家が治める”相給(あいきゅう)”という分割の統治状態が長く続き、それらが村内ばかりか他村との対立を生み、まとまりのない統治文化が北関東の3県エリアを大きく支配していた。

熊本藩や鹿児島藩、岡山藩、尾張藩、仙台藩のような大藩による一体感もないし、村を支配する殿様(旗本、すなわち地頭)が江戸在住(水戸藩主も副将軍として江戸詰が定められていた)では、独自性を出すこともしにくい状況にあった。この支配体制による生活文化(お上・幕府、殿様(旗本)に従順であれ!奇抜なことはするなかれ!自己主張はするなかれ!)が現代まで風土として引き継がれているのが、北関東の茨城、栃木、群馬の3県である。そして埼玉県、千葉県、神奈川県(東京隣接地の中には、自分は東京に通う東京人であると思い込んでいる地方出身都民がいるから尚更たちが悪い)にも、その影響が色濃く残っているのが、関八州すなわち関東の風土である。

このことが、ここ40年間にわたり全国各地を講演・セミナーの仕事で歩いてきたことと生を受けてから高校まで多感な青少年期を北関東の田舎まち宇都宮で育った歴史の研究者地域コミュニティの研究者である、私の経験則的な持論である。

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そこで1つ提案がある(追記:2020年12月1日)

それは県都宇都宮を中心に再び「版画の町うつのみや」を取り戻そうである(創作版画は文化創造運動につながる)。

その根拠は今後のまちづくりの方向性に新しい兆候、新機軸が予想されるからである。

そして現在、栃木市でも「麦秋のまち栃木市」を合言葉に地元・田村律之介顕彰会が近代の農学者・ビール麦王の田村律之介を基軸に新たなまちづくり活動に取り組んでいる

それが自己主張が少し苦手で内弁慶な栃木県民へ、私からの恩返し(佐野市・安蘇郡田沼町で小学校3年まで、宇都宮市で小学校4年から高校まで暮らした小生)のメッセージである。

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筆者の栃木県商工会議所青年部(YEG)における講演風景。

お隣は当時の福田昭夫栃木県知事。

現在の福田富一知事も宇都宮市長時代に私の講演会(コミュニティセンターの開所式における講演会)に参加している。

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参考情報:細内の先行研究について

      :細内の講演録

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