日記・コラム・つぶやき

2022年3月10日 (木)

コロナワクチン接種後の副作用緩和に『ライオンのおやつ』を見るのが一番の良薬(おやつ)だ

2回目のコロナワクチン接種後の副作用?で帯状疱疹を発症し、やっと体の痛みも少し和らいだので、気分転換に公立図書館に行き、新刊コーナーに並んでいた『ライオンのおやつ』(原作小川糸 NHKエンタープライズ DVD4枚のセット)を借りてきた。
ヒロインの顔が4ケースとも同じで、4つの同じ顔が一列に並んだパッケージの“シンプルさ”に魅せられ、またタイトルの『ライオンのおやつ』というユニークさに惹かれ、借りることにしたのである。そもそも「ライオンの家」はホスピスの名前で、おやつとは午後3時に出される入居者(患者さん)の思い出のおやつ、というわけだ。
見始めると、病を抱えたヒロインのホスピスでのスローテンポな暮らしとその色調がモノトーンなシンプルさで、かって25年前に調査研究で訪問したスイスのドルナッハにあったシュタイナー本部の町の雰囲気、環境に似ているな、と1ケース目のDVDをしまい始めたとき、スイスでの風景が私の脳裏をよぎった。
その後、16年前に母をホスピスで看取ったとき、日本のホスピスの配慮のなさに失望した。個室の病室にどこもテレビが置いてあったのである。テレビの放映されている日常の暮らしの中で、旅立ってもらうためにテレビが置いてあると、担当者が言っていたが、患者もその家族もホスピスにテレビは必要ないだろう。むしろ私はその無神経さにいら立った。
今の日本社会で人智学のシュタイナー(ライオンのおやつ)のようなスローな暮らし、シンプルライフを維持できる場所は、もはや人里離れた山奥か、小さな離島ぐらいしかないのであろうと、4枚目のDVDをしまうとき、そう思った次第である
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そして、今も昔も、喧噪の中でひしめきあい、世知辛い世の中が、わが愛すべき日本なのである。
☆彡

2022年3月 8日 (火)

戦後日本に生き残った先人達の合言葉を嚙み締める

戦争は絶体反対だ。どんなことがあろうとも。

父の実家には、私が小学校5~6年ころまで手掘りの防空壕が残っていた。それは戦後25年経過しても、その存在を際立てさせていた。その頃は”暗闇のごみ捨て場”になっていたが、父から防空壕には絶対近づかないようにきつく命じられていた。

父の実家は陸軍14師団のある町で、中島飛行機の製作所(戦闘機を造っていた)が実家から東2キロのところにあった。そして北1キロのところには国鉄の駅があり、戦時物資を戦地に送り出していた。戦争中の爆撃の怖さを叔父たちからよく聞かされていた。製作所が幾度かの爆撃によって真っ赤に燃え上がった。そしてサイレンが街中に響き渡った。国鉄の駅では戦闘機による機銃操作によって多くの人々が亡くなった、と。国鉄駅前には、創作版画で有名な川上澄生が家族と一緒に住んでいたが、戦況が厳しくなり、とうとう彼は旧制中学の教師を辞して、妻の実家がある北海道の白老町へと家族と共に疎開した。

戦後義手や義足を付けた傷痍軍人さん達が、町の駅前で古びた戦闘帽に白衣を着ながらアコーディオンを弾く寂しい姿に、子供ながらにとても悲しく感じた。やがて1964年の東京オリンピック開催とともに彼らは街中から消えていった。

そして父は、叔母3人と祖母を戦禍で亡くしている。

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還暦を過ぎた私が、直接戦争帰りの教師や町の人々から聞いた『戦争は絶対起こさない』ことが、戦後の日本で生き残った先人達の合言葉だ。いまヨーロッパで起きていることは、けして他人事ではなく、日本でも77年前に起きたことだ。

いまは、こうしたことが次世代に正しく伝えられていない。たいへん残念なことだ。

2022年2月20日 (日)

登場人物との関係性を見てくると、NHKの大河ドラマも毎週楽しみになってくる

この写真は、江戸幕末時の旗本井上家の先祖書の一部である。

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母方の女系つながりながら、私の高祖父(4代前)にあたる井上勘次郎利明の名前が中央に見える。利明の父親は小普請組の井上収蔵利和(5代前)で、その母は平野主水の女(娘)と中央部分に記載されている。そうすると平野主水(大和国の交代寄合・旗本5000石)は、私からちょうど6代前の祖にあたるわけだ。

平野家は、賤ケ岳7本槍の一人、平野権平の末裔にあたる。そして江戸幕府の公文書「寛政重修家譜」によれば、平野家は鎌倉幕府得宗(執権)北条家の庶流を称している。いわば北条義時の末裔といえるだろう。

ここまでくると今年(2022年)のNHK大河ドラマ「北条義時(正式タイトルは、鎌倉殿と13人の何とか何とか、で忘れてしまった)」が俄然面白くなってきた。それは、少しは自分も北条義時に関係するかもしれない?と考えたからだ。こうして関係性をよく見てくると、NHKの大河ドラマも毎週楽しみになってきた。ただし家譜は仮冒も少なくないので、半分は娯楽の一つとして見た方がよいだろう。

昨年の大河ドラマ「明智光秀」も、信長の岳父斎藤山城守道三の登場で、その関係性や戦国時代を楽しむことができた。詳しくは、拙著『美濃斎藤氏に繋がる藤姓井上家の女系史伝』を参照されたし。

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2022年1月 6日 (木)

日々是好日所在

先日久しぶりに既知の方丈様に会ってきた。

60歳を超えて再び日曜座禅会に参加しようと決心した。30数年ぶりの参禅である。

コミュニティビジネスネットワーク

近頃の作務はどんなものか、いまから楽しみである。

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2021年11月26日 (金)

アフターコロナ模索のコミュニティの経済学

2021年10月コロナの緊急事態宣言解除後、ご近所の大手コンビニエンスストアの来店客数と売上が減ったという。それはなぜか?コンビニエンスストアで食料品を購入していた客が外食へ流れたからだ。自然の流れだ。一方がへこめばもう一方は飛び出る。商業のアルキメデス的法則だパートさんを戦力化する大型スーパーでのこと。パートさんが朝からマイクを握り、今日の美味しい鮮魚のアナウンス。そのことで32期連続の増収増益の秘密が分かる。近所を歩けば、閉店した店舗があっちこっちと目立つ昨今。駅前の大手銀行も閉店・移転したが、さすが銀行だ。ころんでもタダでは起きない。ウイズ・コロナの今期4-9月は、大幅な増益だとか。

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再びよみガエル

2021年11月14日 (日)

稲城散策と寂聴さん

珈琲と本好きな私。歳のせいか、還暦をすぎて辺りをよく散策するようになった。

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東京2020ではこの前を男女とも自転車ロードレースが走り抜けました。三沢川の源流の一つにはカルガモがよちよち。

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私は、”2つのタイプ(晴美さん、寂聴さん)”の署名本を持っていました。訃報に接し再びその扉を開けてみました。

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99歳は満月を意味し、これからもみんなを照らす菩薩さまです。

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2021年10月23日 (土)

NHKの制作現場の余裕と余韻は今いずこ?

昔のNHKには、収録の後にゲスト出演者とMCさん、そしてディレクターの人達などと、みんなで写真を写す余裕と余韻があった。
最近、しばらくテレビ番組には出ていないので詳しいことは分からないが、今はそんな余裕もないだろうと推察する。SNSがそれだけ既存のメディア、テレビ放送などを浸食しているからである。そういえばNHKは本番前に入念なリハーサルと出演者とのすり合わせした台本作りが売りだったし、全国ネットを活かした生情報の展開がベースだった。民放が後追い番組を制作することも多かったが、最近は逆転してしまったようだ。
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写真は、二昔前の黄色ネクタイと黒メガネがトレードマークの筆者であった。
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この写真の4か月前に、NHK総合『クローズアップ現代』の「広がるコミュニティ・ビジネス」にゲスト解説者として招かれた(クロ現でも国谷さんとスタッフのみんなで写した写真を帰り際にいただいた)ばかりであったのと旧知のキャスター藤田太寅さんだったので、比較的安心してコミュニティ・ビジネスの解説ができたのである。
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MC・国谷裕子さんは生放送の終了後、ご丁寧にもNHKの玄関口までお見送りをしてくれました
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2019年10月 4日 (金)細内ブログより あの人の心に残る珠玉の一言その2、藤田太寅さん
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2008年8月16日放送のNHK総合『家計診断 おすすめ悠々ライフ(MCの石澤典夫さんは右端)』、筆者は左端ののっぽさん
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2008年8月、このころまでの収録後写真は発見できましたが、2012年4月に出演した同局Eテレ『団塊スタイル』(MCは風吹ジュンさんとアナウンサーの国井雅比古さん)の収録後写真は見つかりませんでした。

2021年8月 5日 (木)

28年前の日本のテーマパーク黎明期に関する論文が見つかる

銀行系のシンクタンクに勤務していたころの論文が出てきた。

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ある出版社から頼まれて『日本のテーマパークとレジャーランドを概観』したものだ。当時TDLがオープンして10年が経過し、レジャー分野の事業性についてコメントのできる専門家がいなかったことから、私に仕事が舞い込んだらしい。

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1993年11月発行の「レジャーランド&レクパーク総覧」1994年版だが、最近見て驚いた。何と価格が5万円(税込み)もするのだ。そんな高価な書籍の巻頭をかざる寄稿なのだ。だからこそ市中には出回っていない。ましてや公立図書館でも所蔵している所は極めてまれである。

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日本経営診断学会にも寄稿していることが分かる参考文献

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昨今のテーマパーク人気で,、こうした28年前の論文(1993年)が大学生・院生の卒論・修論上で引用され、参考文献として記載されていることも少なくない。研究者冥利に尽きるものだ。

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私のもう一つの金メダル(腕時計)、ザ・シチズン

私の金メダルといえば、もう一つは、2001年福島県うつくしま未来博の近未来都市パラダイム『森にしずむ都市』のコンペにおいて、福島県知事賞、日本混相流学会会長賞を、タイセイ総合研究所と共同受賞しているが、その記念に、頂いた賞金から当時最高水準のザ・シチズン(当時25万円)を購入した。

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これが、その後の地方講演、起業ワークショプに大いに役に立ったものだ。年間誤差が1秒ほどでほぼ誤差のない腕時計だったので、講演時間や移動時間にも正確な表示をしてくれた。

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しかし20年間使用し、少しくたびれてきたので2020年引退させることにした。この時計も、私にとって人生2つ目の金メダルである。

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2021年8月 4日 (水)

31年ぶりの私の中の金メダル

東京2020を見ていて、私も金メダルをもらっていたことを思い出した。それは31年前の1990年のこと。

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当時研究員として在籍していた私立大学のマネジメント研究所で同僚と共に受賞したものだ。上野賞(イノベーション賞とは、コンサルティング先の企業へ革新的なアドバイスを与えたことに対する企業貢献賞のこと)であり、幕末の長崎であの坂本龍馬の写真を撮影した写真家上野彦馬の孫にあたる私立大学の理事長(東京世田谷で私立大学を経営)から1990年に表彰を受けて頂いたものだ。

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この金メダルは、31年経過した今も、五輪の金メダルと比べて遜色のない?ものとして、私の書斎の奥に秘蔵している

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