経済・政治・国際

2009年11月 5日 (木)

都市・まち診断1:高松市

先日四国経済産業局から招聘を受け、香川県高松市でコミュニティ・ビジネスの基調講演をしてきた

そこで都市・まち診断として、高松市の今までに余り語られなかったまちの特徴を、ホソウチ所長の診断力でズバリきってみよう

今回は講演のため2泊3日した高松市だが、讃岐うどんは余りにも有名で町中どこでも食することができた(以前紹介したように秋田駅前にも讃岐うどんの店がある)

ホソウチ所長の高松市における都市・まち診断は

1.日本一の海運フェリーの往来が似合うまち

2.鉄道よりもむしろ海運フェリーが町の中心のまち

3.通勤自転車が朝の商店街を颯爽と駆け抜けて行くまち(まるでロードレースをしているようだ)

4.自転車道路が比較的整備された四国の環境首都(欧州の環境首都フライブルグを目指せ)

5.町中の商店街にはCVSが少なく、商店街に個性があるまち(大通りにはCVSが少なくないが)

以上の5点が高松市の都市・まち診断の結果だ

地元の方の感想を聞いてみたいものだ

2009年10月 9日 (金)

首都圏の人口から日本を見る;現在の首都圏力を考察する

わが国は首都圏になぜこれだけ人が集まるのか

人口ボリューム(概算)から首都圏の力(パワー)を考えてみよう

まずは南関東の人口構成から見てみよう

東京都の人口は1300万人で、千葉県620万+埼玉県720万人と同程度、わが国の10%を占める

神奈川県の人口は900万人で、埼玉県720万人+群馬県200万人と同程度

千葉県の人口は620万人

この1都2県だけで計2820万人の人々が南関東に住んでいる

さらに埼玉県は720万人、その埼玉の人口は北関東3県、すなわち茨城300万人、栃木200万人、群馬200万人の合計700万人とほぼ同等のボリュームだ

首都圏=関東平野で見ると1都6県で合計4240万人の人々が住んでいることになる

これは他の国でいうと、スペイン国並みの人口ボリュームだ

わが国の人口が1億2756万人だから、首都圏は日本の人口の33%、すなわち全体の1/3を占めている

そして都道府県の人口ベスト6には、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県と4つも入っている

所長の考え方を総括すると、いま盛んに議論されている道州制よりも、むしろ人口面から行政組織を考えた方が良いかもしれない。わが国は3つくらいの合衆(連邦)国家の方が、これからの地域社会にふさわしい機能と価値創造が期待できるのではないかと考えている。道州制はあくまで1つの日本国だが連邦国家は違う。頭(総理)が3つあった方が国際的にも戦略戦術的にも今の時代の環境にふさわしいことだろう。

それにしても鎌倉幕府=関東武士の国家体制は源頼朝らが作り、安土桃山時代には豊臣秀吉が徳川家康に関東への転封を命じたことが江戸幕府成立に結びつき、明治維新では大久保利通らが江戸の政治的空洞化を防ぐためにあえて遷都を実行したことが、現在の首都圏の下地になっていることを自覚すべきであろう

そこから新たな首都圏=関東地方の有り様が見えてくるはずだ

2009年9月15日 (火)

人気商売は立地が一番です

先日千葉・芝山の仁王尊へ参拝しました

成田空港のちょうど南にありますが厳かで立派な天台宗のお寺です

芝山の仁王尊は8世紀創建の古刹で、江戸時代は10万石の格式があり、成田山と人気を二分するほど盛況だったそうです

しかし明治に入り、東京から成田山のある成田までは鉄道が通じましたが、芝山仁王尊までは通じませんでした

すなわち東京からの鉄道駅立地を確保できないことが、現在の参拝客の差に出てしまいました

これは新幹線の停車駅にも通じることです

長野県の佐久市がその好例です

いかによい立地を確保するかが集客や人気に反映するのです

「紳士服の青木」は長野からスタートしましたが、草創期に長野駅前に店舗を構えたことが一番の発展要因だったようです

人の集まる駅(ステーション)は今、人気商売には一番の立地です

エキナカ(駅中)という言葉も生まれています

ですから”人気商売は立地が一番”です

2009年9月14日 (月)

ユニクロ方式で農業の6次産業化

最近講演先の現地で「卵かけごはん」を試食した

養鶏業者が経営しているという

250円という値段設定も安価でよいがおひたし等一品をつけて350円は必要だろう

100食出て3万5千円ではあまり利益は見込めない

しかし生産者が卵を加工して直接販売する仕組みはユニクロ方式で「農業の6次産業化」(1次産業+2次産業+3次産業=6次産業)という

卵の加工品として濃厚なプリンを同時に販売していたが、こちらの単価は250円と美味しさの割にはこれも安価である(これで収支のバランスをとっているのであろう)

生き残りをかけて養鶏業者も必死である

デフレ現象はこうした生き残りをかけた各業界の努力の結果であろう

2009年8月11日 (火)

新幹線、SCとまちづくり

 昨日夕刻、岡山県倉敷市の講演から帰京した。1日遅れたら今回の地震の影響を受けていただろうと思うとぞーとする。

 倉敷は半年ぶりだ。岡山駅でのぞみN700系を降り、在来線に乗り換えて18分ほどで倉敷駅に着く。駅北側の閉鎖されたチボリ公園口に出ると、テーマパークの残像が眼に飛び込んできた。まちのシンボルが一つ消えることは、地域コミュニティの衰退に大きく影響を与える。大原美術館を中心とした美観地区に続く、新たなまちのシンボルとなるべきものであったが、チボリ公園は残念ながらこの度閉鎖に追い込まれた。

閉鎖の要因はいろいろあるだろうが、新幹線との関係で少し私見を述べてみたい。

 当該施設は、東京、大阪方面から岡山駅で降車するにはやや立地に問題ありである。さりとて同じ倉敷市西部にある新倉敷駅では行き過ぎてしまい、かつ”のぞみ”も停まらず不便である。ずばり倉敷駅に新幹線駅を誘致すべきであったようだ。しかし新幹線の倉敷駅設置では、お隣の岡山駅と数分で結んでしまうため見送られたそうだが、現在の東京―品川間の6分で結ぶ感覚で考えれば可能ではないだろうか(実際にはそう簡単ではないが)。現状の手前で下車するようなワンクションを置くことは、やはり何事も2次的な対応にならざる負えないだろう。地方駅ではこうした新幹線駅の設置とまちづくりは切実な問題である。ましてや倉敷市のような観光・交流都市はなおさらである。

 今回心なしか夕刻の駅前商店街は人通りも少なく、雨のせいもあり、シャッターを早めに閉めている商店が多く目に付いた。最近郊外に大型のSCが出来たとのことでその影響もあるのだろう。倉敷ばかりか、全国の都市のまちづくりに、こうして新幹線駅、SCの設置は大きく影響している。

 そして地方分権や地域分権とは、自己決定権をいかに多く地域内に留められるか、または中央から取り戻せるかである。この視点が本来の自立都市圏構想にないと、ただの絵に描いたモチになる。また一方、新幹線駅の設置は、負の側面として中央からストローで吸い取られ、地域に何も残さないことも在りうることをけして忘れてはいけない。

2009年7月 2日 (木)

ユビキタス社会への序章、ICTの利活用

ホソウチ所長に、先月総務省より地域情報化アドバイザーに委嘱するという鳩山邦夫大臣名入りの委嘱状が届いた。

所長は、仕事柄、地域社会とのインターフェースが少なくないが、一体どのくらい情報発信メディアを持っているか、以下に挙げて、これからのユビキタス社会への序章を考えてみたい。

まず、法政大学大学院で講師をしている関係で、昨年市ヶ谷のキャンパスから遠隔地3か所を同時に結ぶ、双方向のテレビ会議システムを使用して講義をした。2コマ連続(3時間)という講義時間はやや長く、ライブの講義より少し疲れるが、今年も東北、北陸、中部地方の中山間地域との間で講義が予定されており、今からたいへん楽しみだ。

また現在所長の出演・監修によるコミュニティ・ビジネスのEーラーニングシステムが、(株)ぎょうせいから発売されているが、これも受講生にあわせていつでもどこでも自由に学習ができるユビキタスの世界である。関心のある方は(株)ぎょうせいへ問い合わせてみるとよい。

コミュニティFMラジオの湘南ビーチFM(逗子・葉山地区)にも、月一だが、最終水曜日の午前10:40~20分間、「ハッピーコミュニティ・ビジネス」という生番組に出演し、CBの楽しさを聴き手に伝えている。インターネットラジオでもあるので世界中から聞くことが可能だ。インターネットを使えば、コミュニティFMラジオは古くて新しいメディアに変身する。

本業のコミュニティビジネス総合研究所と、コミュニティ・ビジネス・ネットワークという市民団体の理事長も務めており、両ホームページ上での情報発信とメーリングリストによる会員間の情報交換を推進している。メルマガも併せ持っており、現在210名を超える登録者がいる。

そしてスカイプ付きのPCは5台、モバイルPCは1台、携帯電話は2台所持し、多面的に扱うことで内外のコミュニケーション能力を高めている。スカイプはテレビ電話機能付でしかも無料なのがよい。

マスメディアのテレビの露出は少なく、年3回程出ている( 参照 http://cbhakase.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-aa65.html )。CB起業、地域活性化、商店街振興、まちづくりの専門家として出演している。そしてライブの地方講演・ワークショップは年間75回程度、そして大学院の講義は年15回ほどある。

こうして見てくると情報通信技術(ICT)の恩恵は十分すぎるほどだ。以外に発信メディアが多いのに驚かされる。

所長は、「情報財マーケティングに関する研究」という小論文を1994年に著しているが、いまや”情報財マーケティングの盛隆時代”を迎えている。

それは”どこでもドアーのドラえもんの世界と同じ、いのままに情報を受発信でき、共感・共鳴の輪を広げることが可能なユビキタス社会の到来”といってもよいだろう。

2009年6月11日 (木)

冷房を使わない日を設けてはどうだろうか

 今日も電車通勤で代々木の研究所まで東京の郊外部から新宿まで、60分ほど各駅停車の電車に揺られてきたが、昨日の麻生さんの環境会見が虚しく聞こえてきた。それは車内の冷房が効き過ぎで寒いくらいだ。

 盛夏は別にして、6月から寒すぎる冷房は御免である。東京圏のすべての電車の冷房とオフィスの冷房をやめたら、どれくらいCO2の削減できるのか、一度やって欲しいところだ。ちなみに1日中冷房を使わない日を設けてはどうだろうか(病院、老人ホームなどは別)。汗かくことを忘れた夏はやっぱり体に良くないのだ。

 今年も寒さの中の電車通勤が続くとなると、ぞーっとする。そして集客施設はどこも冷房が効き過ぎである。こんな足元のことができずに、環境技術のレベルの高さを自慢しても、空虚に聞こえるのは所長だけだろうか!

どこか間の抜けた世の中だ。

2009年6月 8日 (月)

コミュニティ・ビジネスと社会起業家

6月5日(金曜日)『生産性新聞』の「一言」に掲載された所長の寄稿を転載します

     

        コミュニティ・ビジネスと社会起業家

コミュニティビジネス総合研究所所長 細内 信孝

コミュニティ・ビジネスといえば、地域住民が地域の問題にビジネスの組織をもって取り組み、地域資源を活用しながら自ら問題を解決しようとすることであるが、その本質は、コミュニティの共同体論、地域の活性化論、社会起業論、NPO論、ボランティア論、社会参加論等の総合的な視座から成立している。

コミュニティ・ビジネスにおいて現場で主役となる人々は、団塊世代の退職者や子育てを終えた母さん達、そして障がい者や失業者、子育て中の母さん達であり、みんな働きたいと願ってきた人々である。そうした彼らを牽引するリーダーは“社会起業家”とも呼ばれている。

社会起業家とは、自己実現をしながら社会を変革していこうとするベンチャー精神を持つ起業家をいうが、最近若い起業家をそうした呼び方にすることが一般的に少なくない。しかし、それはけっして若い起業家の専売特許ではない。サミエル・ウルマンの言葉を借りれば、青春という“熱い心”と成し遂げようとする“実行力”を持ち合わせれば、それは年齢や性別を問わないものだ。

コミュニティ・ビジネスは、地域の諸問題に地域の仲間と一緒に取り組み、ビジネス組織を持って中長期に取り組んでいくものである。1~3年という短期間で地域の困った問題が解決するものではない。息の長い取組みであり、郷土愛をもって新しく創っていくものである。その先人を挙げれば、長野の小川の庄の権田氏、栃木のココ・ファーム・ワイナーの川田氏、滋賀の黒壁の笹原氏などである。私は、そうした郷土愛を持って地域を元気にする事業(コミュニティ・ビジネス)に取り組んでいる彼らを、本当の意味での“社会起業家”と呼んでいる。

2009年5月31日 (日)

羽田からソウル、北京、上海が日帰り圏

 先ほど4日間の北京旅行から帰国しました

彼の地は晴れの日が続き、快適な旅でした

故宮博物院、紫禁城、万里の長城、天壇公園、天安門広場、王府井と駆け足の北京でしたがビジネス街の視察と世界遺産を巡ってきました

北京のレストランである日本人から聞いた話ですが、円高の影響もあり、北京3泊4日でエアー往復と高級ホテルの宿泊、そして食事代のすべて込み込みで何と2万9800円だそうです

彼曰く、「私みたいな年金暮らしの貧乏人は安い海外旅行、金持ちは国内旅行だ」

同様な国内旅行をいくつか調べましたが、同レベルの旅行はどんなにがんばっても、料金3万9800円ほどでした

これでは国内のほとんどの観光地は太刀打ちできません

さらに2010年以降、羽田空港が拡張されれば、ソウル、北京、上海が日帰り圏になります

昨秋CB講演で招聘され、訪れたソウルは、羽田空港から金浦空港まで2時間でした

そして北京も上海も羽田空港から飛行時間は約3時間です

来年12月に青森新幹線が全線開通しますが、東京から青森まで約3時間で結ばれます

新幹線の新たな旅情(ニュータイプの食堂車の復活やジャパン・クール・コンシェルジェの配置など国際色)を創造しないと、国内の多くの観光地はこうした国際価格競争に勝ち目がありません

グローバルな競争はますます激化することでしょう

ですから中央(東京)ばかり見るのではなく、東アジアに視野を置きながら、東京を経由しないで諸外国の大都市と直接繋がるような観光・ビジネス戦略(法律も新たに創ること)が必要となることでしょう

それを別な表現でいえば”複眼思考が地域を元気にする時代の幕開け”なのです

そして本当の意味の”地域主権の時代の幕開け”です

2009年5月23日 (土)

変化の激しい時代だからこそ、大局を見失ってはいけない

 昨日は青森から帰京した

今回は谷間の朝靄が神秘的であった

この時期、浅虫温泉や下北半島でよくでるらしい

 青森新幹線も七戸駅が姿を現し、2010年12月に東京まで全線開通になるらしい

この時期の青森は薫風新緑で清々しい季節である

平日にもかかわらず1両51席の新幹線グリーン席は行きも帰りも満席であった

特に高齢者のグループ旅行が目に付いた

 浅虫温泉の石木医院のスタッフの方に横浜町に連れて行ってもらった

一面菜の花畑の黄色い高原は圧巻であった

風車の下には、黄色い絨毯が地平線まで続いていた

所長の実家はかつて兼業の養蜂家であったので、菜の花畑の蜜のにおいに鼻が動いた

 十和田市の現代美術館にも足を運んだが、ロンのスタンディング・ウーマンは一見の価値がある

駒の里らしくチェのフラワーホースもよい

同じ市内に”農園カフェひびき”という素敵なお食事処もある

障害者の就労支援の場も兼ねているがそんなことは少しも気づかない

むしろ健常者も障害者も混ざって就労の場が出来ているところが素晴らしい

 

最近の世相で少し心配なことは、大局を見失って部分最適を求める人が多いということだ

部分最適の集積は必ずしも全体の最適にはならない

変化の激しい時代、不安の時代だからこそ、大局を見失ってはいけないのだ

2009年5月 8日 (金)

上野発のアキバ系 ビックスリー家電

 山田さん、小島さん、加藤さんといって何を思われるだろうか?

 この苗字は日本中にどこにでもいらしゃる方のものだが、れっきとしたアキバ系ビックスリーの名前である。いや所長が単にそう呼んでいるだけなのかもしれない。

 その答えは、ヤマダ電機、コジマ、ケーズデンキの創業者の名前が山田さん、小島さん、加藤さんなのだ。

いずれも、アキバから北に100キロ圏に本社を置く、家電量販店の雄である。

どこに共通項があるか、解説してみよう。

 各本社は、ヤマダが高崎市、コジマが宇都宮市、ケーズが水戸市とあり、北関東の各県庁所在地にあり、鉄道でいえば高崎線、宇都宮線、常磐線の中核駅である。これらの始発駅はいずれも上野駅が拠点である。しかし上野駅のもう一つの顔は、北関東から行商人たちの現金買いの拠点であったのである。

 戦後、北関東の商売人は、現金を腹巻に詰め込み、商品買い付けに上野駅へ向ったそうだ。その現金で安く仕入れ、買い付けた商品を担いで電車(当時は汽車)に乗り込み、個人商店で安く販売したそうだ。そうした慣習から現金仕入れで、大量に安く商品を買い付ける家電量販店の仕組みが出来上ったそうだ。

 またクルマ社会の進展が、現在のロードサイド店舗を発達させた。北関東3県は1世帯あたりのクルマ保有台数が2~3台と全国トップクラスにあり、クルマがないと生活ができないライフスタイルになっている。おまけに東京と違い、郊外には広大な土地が続いており、ロードサイド店舗の大型化に拍車をかけ、ますますロードサイド店舗を進展させた。その結果、中心市街地の空洞化が加速し、商店街のシャッター通りを増やした。

 そしてバーイング・パワーの台頭である。作れば売れる時代から、消費者の安さ追求が、スケールメリットを発揮する大型専門量販店のニーズと相俟って、彼らがイニシアチブを握っている。まさにメーカー受難の時代でもある。

 こうして前述した各種要因が複雑に影響し合い、北関東という立地や風土に起因するアキバ系の家電 ビックスリーが誕生したのである。

2009年4月26日 (日)

高速料金がはたしてどうなるか?目が離せない今日この頃である

 当方のクルマに遅ればせながらETCが付いた。本日、新宿にあるわがCB総研まで、中央フリーウェイは休日ながら快適であった。 

 思い起こせば1994年、いまから15年前にヨーロッパのスイス、オーストリアを走ったとき、すでにETCが使われていた。わが国もやっと庶民レベルまでETCが普及しそうな勢いである。

 少し遅すぎた感もあるが、いままで高速料金が高かったのが遅れた原因の一つであろう。今日の走りでは、八割方がマイカーであった様に感じた。今回の麻生施策で高速料金が休日に少し安くなったのでマイカーが増え、一方不景気で営業車は動くのを自粛しているようだ。しかし平日よりも交通量が少ないのが少し気がかりだ。

 この休日料金が2年後はたしてどうなるか?

目が離せない今日この頃である。

2009年4月20日 (月)

リーマンショック以降、世界は再び阿修羅の時代へ

 先日東京国立博物館で興福寺の阿修羅展を見てきた。37年ぶりだろうか。奈良への中学の修学旅行以来だ。阿修羅像は目元の涼しさからか、とても悪神には見えない。インド神の中心である帝釈天と戦い続けた敵役の神であり、その後仏教の守護神に変身したそうだ。これから始まる修羅場を鑑み、その悲哀観が全身に漂っているようだ。

 所長の近著『みんなが主役のコミュニティ・ビジネス』(ぎょうせい2006年)の”はじめに”で紹介した「環境と経済が大混迷するであろう21世紀初頭の狭間…」でも言ったように、私たち人類は再び修羅場を迎える。阿修羅像はそうした予言を伝えたく、奈良からわざわざ東京にお出ましになったと感じたのは所長だけだろうか。

 リーマンショック以降、金融資本主義経済の本格的崩壊がはじまり、一方身の丈、等身大の経済はますます安定感を増すばかりだ。そして、それは適正規模の自立化促進とそうしたもの同士を結びつけようとするコミュニティ・ビジネス・ネットワークの時機到来を意味している。

2009年3月24日 (火)

神田神保町の経済学(2) 大学は文明の配電盤になりうるか!

 司馬遼太郎は、その著作の「文明の配電盤」で大正時代の神田について、「近隣の大学は、みな学校商売のにおいがしていました」と述べている。一方早稲田や慶應義塾が発展した理由について神田から遠ざかっていたからだと述べている。

 この彼の論述をどう解釈すればよいか?

 司馬遼太郎は、大学は自らが文明の配電盤であるとしているが、所長もまさに同感である。神田界隈は商売の街。商品の運命は人々にすぐ消費され、飽きられてしまう。しかし大学はすぐに飽きられては困る存在なのだ。大学は、”真理の追求”をその本分とし、大学自体の存在が商品として消費される環境からなるべく遠ざかっている方が研究者や学生にはよいと判断されたのだろう。

 現実的には1960年代の学生運動が下火になった以降、神田界隈の大学はこぞって東京の郊外部である多摩地区に移転し、八王子市には現在50前後の大学キャンパスがあるという。しかし昨今、都心回帰でユータウンする大学も少なくない。問題が地域に山積するわが国の少子高齢社会のなかで、再び大学の存在価値が問われている。それは経済価値のみに留まらず、大学が果たして文明としての配電盤になりうるかどうかが問われているのである。

2009年3月22日 (日)

神田神保町の経済学(1) 最近の景気はやはり重症だ

 ホソウチ所長は古書店の町・神田神保町が大好きだ。通い始めて20数年は経過しただろうか。研究者という仕事柄、研究書を求めて行き始めたが、最近の神保町は中華やカレーを食べに行くところに変貌している。

 昨日も、いつもの上海料理に舌鼓をし、紹興酒に杯を傾けたが、いつもと様子が違う。客も少ないが、周りで注文する料理がみんな1品オーダーなのだ。店員さんによると昨年のリーマンショック以来、客数と一人当たりの消費単価が落ちてきていると言う。それをカバーするために単価を抑えた小品メニューを新規で追加したが、いまいちお客さんのオーダーは増えていないと言う。

 夕刻の古書店街は人出は多いが、みんなの財布の紐は固い。その証拠に、つい最近まで古本を5~6冊抱えてレジに並んでいたが、今はほとんどの人が1~2冊だ。

 わが国は少子高齢社会なのだ、古書店街は若者が少なく、50歳代以上の本好きマニアがやたら目に付く。所長もそんな輩の一人だ。きっとアナログ的な古書店街にやすらぎを求めて出没する”3丁目の夕日族世代”なのだ。古書店街の昭和建築が夕日を浴びて美しい。そんな雰囲気が漂う神保町界隈なのだ(大学生は、春休みで実家に帰っているか、それとも秋葉のゲーム街に出没中なのか)。

 わが国の最近の景気はやはり重症だ!!

2009年2月 6日 (金)

社会変革家として福澤諭吉とルドルフ・シュタイナー

 福澤諭吉もルドルフ・シュタイナーも社会構造変革家である。

ともに演説(講演)とペン(書籍等)、学校(門下生)を通じて社会構造の変革を促した。

そして福澤諭吉は、人生3度の海外視察をしたという(いずれも船舶による)。

 一方、ホソウチ所長の海外研究(シンクタンク勤務時代に仕事として行く)は、1992年JICA(国際協力機構:当時国際協力事業団)の仕事でマレーシア、タイを1か月かけてまわってきたことに始まり、その後、1994年のスイス・ドイツ・オーストリアを中心にした欧州森林都市の研究、1996年にはドイツ・スイスのエコロジーの研究、そして1997年にはイタリアの都市と工芸の研究、1997年は米国の市民社会の研究、1998年は英国の市民社会の研究、2003年は英国の社会的企業と社会起業家の研究(これは英国外務省から招聘を受けて訪英)、2008年は中欧(チェコ、オーストリア、ハンガリー)の町並みと工芸の研究、さらに2008年秋、韓国・ソウルでのコミュニティ・ビジネス招聘講演まで続く。福澤諭吉の時代から150年が経過し、小生のような凡人でも、こうして世界見聞が広く可能になった。そして、この期間、ホソウチ所長は国内1000箇所に及ぶ講演・ワークショップにでかけている。

人類の移動手段の進歩は目覚しいものである。

 所長にとって海外の先進地を訪ねることは、新しい視点や意味ある情報を見出す絶好の機会と場の獲得であり、大いに好奇心を膨らませて出かけたものだ。今でも国内の講演でさえ、初訪問地はワクワクするものである。

 1996年のドイツ視察では、欧州環境首都・フライブルクでのエコメッセ、ルール工業地帯のエムシャー川再生とその博覧会、そして欧州各地における温泉保養地のあり方と訪ね歩いた。またルドルフ・シュタイナーの足跡を見つめ、ミューヘンのシュタイナーシューレ、自然農園、スイス・ドルナッハのゲーテアヌム(建築物を視察)と訪ね歩き、その考え方に驚きの日々をすごした。

 今回の福澤諭吉展では、福澤諭吉とそのシュタイナーが重なり、諭吉は演説会を、シュタイナーは講演会を、全国各地で展開した。 ホソウチ所長もあれから13年、コミュニティ・ビジネスの講演会やワークショップは1千回を超えた(大学での講義は除く)。今年は改めて初心に帰り、3千回に挑戦したいと考えている。

社会起業家には福澤諭吉展がおすすめ

 昨日は上野駅から東京美術館、東京国立博物館を3時間の早足で各館のハシゴをしてきた。

 東美ではウイリアム・モリスのアーツ&クラフツから民芸まで展、東博では妙心寺特別展、そして福澤諭吉展である。

 アーツ&クラフツ展は、昨年訪れたオーストリア・ウィーンの20世紀初頭の欧州先端文化を再確認できた。

 また妙心寺特別展は、長谷川等伯の枯木猿図と白隠筆の達磨像が印象に残った。わが国の寺院は文化の中心であったことが確認できた日でもあった。

 しかし、コミュニティ・ビジネス的視点に立てば、東京国立博物館の福澤諭吉展が圧巻である。

 ホソウチ所長は福澤諭吉が”経済”という言葉を生み出し、「学問のススメ」「西洋事情」を始め、多くの啓発書を著し、慶應義塾の門下生を通して維新後のわが国の経済山脈を構築してきたことを大いに評価している。その体系的な展示が今回の展示会である。社会起業家を目指す人には必見の展示である。時代の社会問題を解決するところに新たな経済が生まれる(ホソウチ所長談)。福澤諭吉展はそれを示唆している。先人の発展プロセスや心構え(男女平等、独立自尊など)は大いに参考になる。

閑話休題

 髷と脇差をペンに替え、あくまで無位無官の一市民にこだわり、社会に貢献・寄与する心持ちと独立自尊の気品が伺える福澤諭吉展であった。塾生ならずとも心動かされる展示である(ホソウチ所長は諭吉の門下生ではないが、その(無位無官の一市民としての)心意気に感銘している)。

特に、社会起業家を目指す若者にはお薦めの福澤諭吉展である。

2009年2月 2日 (月)

龍馬はいま何処、ホソウチ所長は今日も地域を行く

 先週末は、土佐の高知で講演でした

土佐の人々はたいへんな熱気で迎えてくれました

久しぶりに講演開始前から会場が満杯になり、熱意を感じました

講演終了後も名刺交換や質問にみえる方が列をつくりました

経済衰退と環境問題が混迷する地域社会で、何とか現状を変えたいという方々の列でした

帰りに桂浜手前の270mまで行きましたが飛行機の時間を考慮し、

坂本龍馬に逢うのは次回にしました

そして現代の龍馬を求めて、ホソウチ所長は今日も地域を行く

2009年1月26日 (月)

経済の発展・衰退は、今の格差社会そのものだ

 先週のホソウチ所長は、長野県上田市での講演を終えて、久しぶりに長野県の東信地方をまわってきた。

 東信(東信濃)の上田市、小諸市、佐久市の3都市であるが、車社会の進展と新幹線の開通による町の発展は明暗を分けた。功罪相半ばする経済のこうした発展・衰退は今の格差社会そのものである。

 特に小諸の町の駅前の衰退は目に余るものがある(所長は小学生のとき、1970年に初めて小諸を訪れている、以来毎年のように浅間山を見たくて訪れている)。新幹線のルート駅から外れ、かつての特急停車駅のJR信越本線が3セクの”しなの鉄道”になり、駅前商店街の多くはシャッターが下りたままである。しかも町一番の観光資源、小諸城・懐古園、そして島崎藤村記念館、小山敬三美術館への道程は、商店街を通らずとも駅舎から線路を跨ぐ高架橋が架けてあり、観光客誘導動線にやや問題がある。

 一方、新幹線の新駅が作られた佐久市の佐久平駅は大発展を極め、大型の商業施設が設置され、さらにロードサイド型店舗の集積を加速させている。しかし同じ佐久市内の既存の商店街、すなわち中込、岩村田、野澤の各商店街は、小諸駅前の商店街と同じシャッター通り化している。かつての賑わいは二度と取り戻せないほど疲弊してしまった。

 今の格差社会は、こうした経済発展によって作られている。新幹線(グローバルビジネス)をつくることによって、在来線や既存商店街等の町の経済(ローカルビジネス)を分離し、新幹線黒字化の目処(東京の効率性をますます高める)を付けようとする。昨今の大手メーカーと派遣労働者や期間労働者の問題とまったく同じ構造である。

閑話休題

少し元気になる話題を1つ

小諸市には”浅間山”という偉大な自然、活火山がある

その浅間山まで小諸駅から登山鉄道を敷設したらどうだろうか

スイスの登山列車がよい見本だ(所長はスイスに調査に行ったことがある)

またイタリアには

赤い火を吹くあの山へ、登ろう登ろう
そこは地獄の釜の中、のぞこうのぞこう

登山電車が出来たので、誰でも登れる
流れる煙は招くよ、みんなをみんなを

行こう行こう火の山へ、行こう行こう火の山へ
フニクリフニクラ!フニクリフニクラ!!
誰ものる、フニクリフニクラ

という、その手の歌もある

こうした夢は大きい方がよい

2009年1月 9日 (金)

経済産業省が音頭をとるソーシャル・ビジネス

 ホソウチ所長は,平成20年の年末に広島市で開催された中国地域のコミュニティ・ビジネス&ソーシャル・ビジネス推進協議会設立のシンポジウムで基調講演を行いました。

その内容は下記の通りでした。

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

日時:2008年12月18日(木)15:00~18:00
場所:メルパルク広島6階 平成の間
   (広島市中区基町6-36 TEL:082-222-8501)
参加費:無料

プログラム
15:00 開会挨拶 長尾雅彦(経済産業省中国経済産業局長)
15:05~15:20 特別講演「中国地域CB/SB推進協議会への期待」
     大塚洋一郎(経済産業省大臣官房審議官・地域経済担当・地域エネルギー担当)

15:20~16:20 基調講演「地域を元気にするコミュニティ・ビジネス」
    細内信孝(コミュニティビジネス総合研究所所長、コミュニティ・ビジネス・ネットワーク理事長)

16:20 トークセッション
     吉長成恭(広島国際大学大学院教授)
     安藤周治(【広島】株式会社わかたの村取締役)
     守屋基範(【岡山】NPO法人かさおか島づくり海社営業部長)
     木織雅子(【広島】NPO法人工房おのみち帆布理事長)
     吉岡永裕(【山口】船方農場・みどりの風協同組合専務)
     河部真弓(【島根】NPO法人結ま~るプラス理事長)
17:20 中国CB/SB推進協議会設立総会

主 催:中国CB/SB推進協議会、中国経済産業局(経済産業省)
事務局:中国CB/SB推進協議会、中国地域ニュービジネス協議会
申込先:NPO法人ひろしまNPOセンター

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

上記のように、国がコミュニティ・ビジネスやソーシャル・ビジネスを促進することは、しごく当然のことなのです。こうした社会開発は、本来、民間の、しかも市民の心意気で進めるべきものです。市民社会の形成は、市民自らが作るものなのです。

そんな熱気を感じた中国地域のコミュニティ・ビジネス&ソーシャル・ビジネス推進協議会設立のシンポジウムでした。

閑話休題

 今年は選挙の年ですが、鎌倉幕府源頼朝以来の”一所懸命”の精神は、現代社会にも受け継がれ、議員の子息は議員になり、スポーツ選手の子息はスポーツ選手になる。親の職業を受け継ぐ精神は、現代社会にも面々と受け継がれていますね。小選挙区だからこそ、ますますこの”一所懸命”が活きてくるのです。そしてここでも和洋折衷の精神が生きています。西欧の民主主義と鎌倉の一所懸命の融合が。

 この”一所懸命”の精神こそが、わが国の精神・価値構造や土地本位制度、地域社会の階層構造、そして職業を考える上で大切な要素なのです。

地域コミュニティ批評家 ホソウチハカセ 

2008年12月20日 (土)

講演旅行からわが国の経済状況を読む

 ホソウチ所長は、今回愛知県岡崎市、名古屋市、兵庫県上郡、岡山市、広島県尾道市、広島市、広島県福山市、岡山県笠岡市と、長期間にわたる講演・ワークショップ旅行から帰京した。

地域経済の状況は、やはり自動車産業のある愛知県が一番深刻で、そうした企業城下町は経済的打撃が一番大きいようだ。

瀬戸内海のある造船業のドックには、まだ船が沢山入っていたが、地元の人の話しによるとそこから先は仕事がないようだ。

今回、太平洋ベルト地帯に沿って東京から講演・ワークショップ旅行をしてきたが、わが国が誇る輸出型の大企業とその関連産業が特に深刻だ。新幹線のグリーン車の込み具合からも分かるものだ(いつもと違う)。

今回、毎日泊まるホテルも違ったが、ホテルの込み具合と予約の状況、小売店の店員さん、タクシー運転手の話しなどから、彼の地のビジネス環境がつかめたものだ。

そこから推察するに、わが国の地域経済は今後ますます深刻化していくだろう。

失業者が出ないことを祈るばかりだ。もし失業したら、コミュニティ・ビジネスで起業するのも選択肢の一つだ。

そして政府は、自立の道も用意すべきだろう。

政府は、コミュニティ・ビジネス起業には5年間の法人住民税や法人所得税の税減、事務所家費補助、無料の専門家派遣、人件費補助、広告費補助など各種インセンティブを用意すべきだ。

地域で等身大、身の丈サイズの起業こそ、地域雇用を生み出し、地域力向上の源なのだ。

2008年11月 5日 (水)

大家族主義の復活と、それに伴う三世帯住宅の提案

ホソウチ所長は、これから下野市、秋田市、岡崎市、上郡町、広島市など、まだまだ全国を飛び回る予定である。

ここで肩の力を抜いて地域再生の話をひとつ。

地域再生には、ハコモノの話がつきものだが、別な視点からひとつ提案。

それは、大家族主義の復活と、それに伴う三世帯住宅の建設を提案したい。

戦前にあった大家族主義の喪失が、日本の地域コミュニティを崩壊させた。

いまこそ、政策として大家族(三世帯居住など)には、例えば住民税の減税措置や、出産費の免除、三世帯住宅ローンの大幅減税、社会保障制度の各種優遇措置など、各種インセンティブを用意し、地域の再生に”家族の絆”や”人と人のふれあい”が大切なことを再確認すべきだろう。

各種税などは、全国一律でなく、1,800市町村が独自の施策として決めればよい。国も上記のような施策には特別に財源を用意すべきであろう。施策が良ければ住民は足による投票で移住し、地域も活性化する。これからは、そうした市町村の政策立案能力が求められる時代になるだろう。

戦後、戦前にあった大家族主義は崩壊し、勤め先である大会社に取り入れられ、終身雇用制度として発展したが、昨今の非正規労働者の増加や日雇い派遣労働者等の規制緩和によって、これも崩壊の危機にある。わが国は2大セイフティネットをいま失いつつある。これでは安心して子供も産めない。まさに負のスパイラルに突入した。

地域コミュニティの崩壊と、就労の崩壊を再生するには、ハコモノ主義による再生だけではなく、顔の見える関係などの”人と人とのふれあい”による新大家族主義の復活などを、国や市町村の政策に大きく反映させるべきだろう。

こうした視点が、いま最も必要かと思われることだ。

2008年9月20日 (土)

コミュニティ・ビジネス 日韓フォーラム

 細内所長は昨日まで韓国に講演旅行に行ってきました。

以下は、同行したコミュニティ・ビジネス・ネットワーク運営委員・東海林伸篤氏の(CBNメルマガよりの転載)韓国レポートです

 2008年9月18日(木)、韓国のソウルにおいて開催されました「 コミュニティ・ビジネス 日韓フォーラム」にCBN理事長の細内信孝氏が招かれ、基調講演を行いました。その概要をお知らせ致します

「コミュニティ・ビジネス 日韓フォーラム」
~地域+オルタナティブ経済の希望探し‘コミュニティ・ビジネス’を論じる~

*日時:2008年9月18日(木/ソウル)~19日(金/完州)
*場所:忠武アートホール(ソウル市)、全北道立美術館(完州)
*主催:韓国希望製作所+日本希望製作所
*後援:韓国行政安全部, 完州郡, 農協中央会, 土地公社その他

◆概要
 2008年9月18日(木/ソウル)~19日(金/完州) の2日間にわたり、韓国の希望製作所主催によるコミュニティ・ビジネス日韓フォーラムが開催されました。「地域+オルタナティブ経済の希望探し‘コミュニティ・ビジネス’を論じる」と題し、地域の未来を創造していく手段としてコミュニティ・ビジネスが、重要な役割を果たすものと期待され、行われたものです。
「希望制作所(HOPE INSTITUTE)」は3年前に韓国において設立され、日本では林泰義氏が「日本希望製作所」の理事長を担ってます(事務局長は桔川純子氏)。
 フォーラムの主な目的は、次の3つ、コミュニティ・ビジネスに関する具体的で深い事例の分析と情報の共有」、「コミュニティ・ビジネスの韓国的モデルを構想する本格的な論議の場」、「地域づくりの新しい傾向についての市民的共感の輪と専門家のネットワークの形成」というものでした。
 今回のフォーラムをきっかけとして、日韓の交流が促進され、コミュニティ・ビジネスに関する議論が双方に深まることが期待されます。

◆2008年9月18日(木)細内理事長による基調講演
 フォーラム初日冒頭の講演をコミュニティ・ビジネス・ネットワーク理事長の細内信孝が行いました。その後、キム・ジェヒョン 氏(希望製作所 副所長, 建国大 教授)、キム・キョンニャン氏 (江原大学校 農経済学科教授)、ソン・ミリョン氏 (農村経済研究員教授)、キム・ジェボム氏 (国土研究員)、イ・ウォンジェ氏(ハンギョレ経済研究所長)の各氏を交えた討論会が行われました。

◆今回のフォーラム(2008年9月18日~19日)では、細内信孝CBN理事長のほか、次の方々が参加しました。
 広石拓司 (株式会社empublic 代表取締役, NPO ETIC senior fellow) 、伊佐 淳(久留米大学経済学部教授)、関原 深(株式会社インサイト代表取締役)、中森まどか(コミュニティビジネス サポートセンター 事務局長) 、中村陽一 (立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科 ・社会デザイン研究所 教授) 、本田 節 (「ひまわり亭」オーナー) 、桔川純子(日本希望製作所・事務局長)※敬称略

◆開会挨拶
○金才賢/希望製作所コミュニティビジネス研究所長・建国大学環境学科教授
 このセミナーのために、日本より細内信孝コミュニティビジネス総合研究所長にお越し頂きました。はるばるお越し頂き深く感謝申し上げます。今回、リーマンの件は世界的規模で大きな影響を及ぼしておりますが、この事件をきっかけに、グローバルビジネスに対し、地域の独自的な経済サイクル、経済規模を構築していくことが、大切であるということを、改めて強く認識します。地域の歴史や資産を活用し、企業として成り立つものにしていくというコミュニティ・ビジネスの視点の重要性を感じます。韓国では、個人投資家を蟻軍団と言っていますが、個人が集まれば大きな力になります。
今回のフォーラムを皮切りに、韓国でもコミュニティビジネスが地域活性化のきっかけとなり、特に、農村地域において、意義のあるものになることを期待します。そしてひいては韓国全体に大安をもたらすきっかけになることを期待しています。

○イン・ジョンヨプ/完州郡守(市長)
 今回の日韓コミュニティビジネスフォーラムを企画頂き、我々に希望を与え、明るい光を照らして下さる、希望製作所に感謝申し上げます。地域創生の新しいモデルを自ら探し、自分たちを取り戻す方法を学びながら、農村にも希望をもたらすことができるかどうかが、地域のリーダーの役目です。
グローバルビジネスの影響により、地域は阻害され、人々は勇気を失っている状況です。現場の事情が分からない専門家による口だけの政策よりは、現場で一つでも具体的に何が出来るかを、今回のフォーラムを通して学びたいと思います。専門家の先生方がご提案して下さった考え方に基づき、地域の為に出来ることを実践していきたいと考えております。農村問題、地域問題は切羽詰まっている状況です。どうぞ宜しくお願い致します。

○ドックベエパク氏/韓国政府農林水産食品部次官  
 まずは日韓のフォーラムの開催おめでとうございます。また、日本よりお越し頂きました細内信孝コミュニティビジネス総合研究所長に深く御礼申し上げます。今まで、韓国の農村漁村は急速な産業化を経て、その結果として地域における悪循環が起こっておりました。そのために、これまで政府は、消費者と生産者を結ぶ株式会社を作るなど、いろいろな努力を講じてきました。農村体系プログラムを作り、1社1村として、都市の会社と農村との交流プログラムもありますが、これもうまく機能しておりません。政府の努力だけでは限界があることを認めざるを得ません。コミュニティ・ビジネスの体系のもとで、農村と漁村が発展すべき道に期待したいと思っております。日韓両国の専門家に参加頂くフォーラムが、有意義なものとなり、韓国の農村や漁村の地域がより良くなることを願っております。

○細内信孝/コミュニティビジネス総合研究所長・コミュニティ・ビジネス・ネットワーク理事長
 「コミュニティ・ビジネス」という言葉は、今から15年前に作りました。日本におけるコミュニティ・ビジネスは東京の両国で行ってきた、町の仕事起こしに始まります。これが日本のコミュニティ・ビジネスのスタートになっています。日本には、ソニーやホンダのような大きな会社の企業城下町が形成されていますが、一方で、スモールビジネス、コミュニティ・ビジネスが地域の再生やマネジメントには必要です。車の両輪として、両方必要なのです。障害者の車椅子をカスタマイズする事業もあります。
 「コミュニティ・ビジネスの効果」としては、人間性の回復、社会問題の解決、文化の継承・創造、経済基盤の確立などが考えられます。
 地域社会においてコミュニティ・ビジネスを実践していく上では、沢山の“暗いつぶやき”があります。コミュニティ・ビジネスは、地域資源を活用し、雇用を作り出します。いわば、コミュニティ・ビジネスは社会参画の場を作り出すものと言えるのです。イギリスでは「ソーシャル・エクスクルージョン(Social Exclusion)」という言葉があります。職を失うと社会的な排除に合ってしまいます。スキルを磨き、皆で地域を再生することが大切です。
 コミュニティ・ビジネスとは社会問題解決のために、ビジネスの視点を入れということです。ボランティアは2~3回でしたら続きますが、これが100回になるとどうなりますか?ビジネスの視点をつけるというのは、継続性を作り出すということなのです。経済の循環よりも文化の循環の方が尊く、その形成には時間がかかります。
 日本では、3,500人の過疎の村で年商7億円のコミュニティ・ビジネスの事例があります。”お焼き”を売ることで、それだけの売上げがあるのです。コミュニティ・ビジネスでは敢えて機械化しないことが重要です。働く人を確保するために、手作業でやってもらうことも、コミュニティ・ビジネスでは重要なことです。人に光を当て、その人を活かす視点も大事です。
 コミュニティ・ビジネスは、はじめは“クラブ”から始まることが多いです。そして、事業を起こし、顔の見える関係のある仲間が集まってきて、共同組合的組織になる。これが5~10年かかると、社会的企業、すなわちソーシャル・エンタープライズ(Social Enterprise)になるのです。
 100できたクラブのうち、2~3年後に残るのは1/3程度。そして社会的企業に発展するのは1つ。これが一般的な状況です。
都市間の地域間競争が行われる時代に入り、行政×中小企業×住民市民=相互補完の総力戦が重要になる時代です。これからは地域間競争の時代です。コミュニティ・ビジネスは自分起こし、社会問題の解決、地域の雇用づくり、共に生きる社会づくりに役立つのです。

 NPO法人について日本では35,000法人あります。このうちの半分がコミュニティ・ビジネスです。なお、地縁団体、有限責任の中間法人、LLC、企業組合、任意団体等のコミュニティ・ビジネスを含めると、現状のNPO法人の数とほぼ同じになるでしょう。

 事例:「おやき/小川の庄」です。コミュニティ・ビジネスではなるべく手作業でやり、そこに働く人が大勢入っていける、というのがコミュニティ・ビジネスです。

 事例:「(有)花農場あわの」です。これは女性たちによる企業であり、事業高が年間6千万円の農家レストランです。8人全員が伝票の積み上げや経理が分かります。年間5万人の観光客が来ます。メンバーは月1回、フランス帰りのオーナーシェフのところに学びにいっています。コミュニティ・ビジネスでもサービスの質をあげることが重要です。
また、誰でも分かるように、事業を進めて行く上では、具体的に物を持って示していくことが大切です。

 事例:「(株)まちづくりとやま」です。空き店舗の活用し地域再生を行っています。町の再生に向けたミニチャレンジショップのコミュニティ・ビジネスも出てきています。

 事例:「(有)ドンカメ」です。地産地消と環境保全を目的としています。街から出る生ゴミを集めて、肥料をつくっています。12,000人の町で、年商8千万円くらいあります。ここは、行政、商工会、小学校も関わりながら、皆で作り上げているというところに強みがある。いわば総力戦の成功事例の一つです。コミュニティ・ビジネスでは新しいものを使うのではなくて、タンクローリーなどは、中古品を活用しています。

 コミュニティ・ビジネスの成功への課題としては、社会的企業を意識して、マネージャーとそれを支える働き手を、いかに育成するかです。適任者がいなければ、マネージャーは公募するなどの方法もあります。コミュニティ・ビジネス起業者へのインセンティブを設けること他、といったことなどが挙げられます。会社を創業して5年くらいは赤字が出るものです。日本のコミュニティ・ビジネスの場合は、やる人よりも回りで応援する人の方が多いというジレンマを感じる場合も多いです。

以上、東海林伸篤氏からのレポートでした

2008年7月 6日 (日)

これからは地域の時代だ

 なぜ、今回の新刊タイトルは、『がんばる地域のコミュニティ・ビジネス』学陽書房刊なのか

ズバリ、これからは”地方の時代”ではなく、”地域の時代”だからだ

中央があるから地方がある

しかし、真の自立は、強い中央がある限り、地方では自立の芽がなかなか育ちにくい

地域には顔の見える関係(これを失っているからこそ問題なのだ)があり、それをベースに等身大の生活が可能だからだ

残念ながら、わが国の”地域”には法的にも十分な”存在感”が確立されていない

小生がある政令指定都市の市民委員をしていた15年前、その政令指定都市のある区の人口は18万人もありながら、区長の裁量のある予算はたった3000万円しかなかったのである。

当時、ある民間の研究所の研究課長をしていた小生の研究予算は、3500万円(課全体として)あり、区長の予算を超えていた。これではよい市政ができるわけないのだ。

つまり地方自治法では、縦割り行政の中で市役所本庁の部局でしか予算編成ができないからである。

中央は、縦割り行政のなかで”地方”を束ねる。しかし、中央からでは、生の人間が生活を営む”地域”(子育てや高齢者の医療・福祉、環境、商店街の活性化など)が見えにくい。

だからこそ、いま真剣に”地域”が大切なのである。

少子高齢化、格差社会が進むわが国では、”こまってしまった地域(空洞化した中心部や限界集落など)”の法的な担保・整備(地域単位で予算執行が可能になる、民間からもインセンティブで資金を直接地域に投入できる等)が急がれる昨今である

よって、今回の拙著は『がんばる地域のコミュニティ・ビジネス』なのだ。

2008年5月 4日 (日)

わが国の首長の顔はどこも苦渋色

 最近、福田首相も、大阪府の橋本知事のテレビ顔も、とみに渋くなっている。細内所長が先日全国市長会で講演したときも、地方の首長さんの顔がとても渋かった。どこも税収増は望めないし、公債比率は危険ラインに近づき、負債で首が回らないというのが現実だろうか。

 大阪府が5兆円の負債、北関東の県民所得上位県でさえも、なんと1兆円の負債があり、国も800兆円の負債があり、どこもかしこも首が回らない。こうした借金体質がわが国に蔓延している。

 東京にすべてのことが1極集中しているのが問題で、わが国の富の法則では、地域間格差は拡大の方向にあり、遠心分離機のように、その加速度はハイスピード基調にある。これが地方に行くと、まったく同じ現象が起きており、”県庁所在地と中山間地、過疎地”の対立軸が”東京と地方”の構造内に組み込まれ、3重構造となっている。わが国のこの手の問題はたいへん深刻である。

2008年2月29日 (金)

新街道を行く(25)欧州から帰国しました

 細内所長の2月下旬は欧州の地におりました。今年の欧州は東京よりも温暖で、少し拍子抜けをしました。東京が寒かったのでしょうか。

 今回の旅の目的は、団塊世代夫婦の海外旅行事情、団塊世代向けの温泉保養地の研究、トラムと最適規模まちづくりの研究等で、こうしたことの真理探求の旅でした。国としてはチェコ、スロバキア(最近チェコスロバキアから分離独立)、ハンガリー、そして芸術の都・ハップスブルグ家のウィーンを巡ってきました。昔は東欧といっていましたが、最近は中欧というそうです。

 まだ時差ボケですので詳細記述は避けますが、今回の旅を一言でいうと、チェコ、スロバキア、ハンガリーの陸地部では、国境の検閲がなくなり、人や物の経済活動等が自由になったことに驚きを隠せませんでした。以前ですと、国境のパスポート・コントロールに2~3時間かかることもあり、国境での煩わしさが問題でしたが、そうしたことがまったくなくなりました。

 今後、かの国の通貨がユーロへと変更になると、ますますユーロ圏が広がり、円の弱体化に一層の拍車がかかることになります。最近のわが国の各種経済規制は、こうしたことに拍車をかけているようです。今回の欧州訪問は、前回よりも一層円安の実感を受けました。われわれ庶民には、円換算では現地でまともな買物もできない状況でした。

追記

欧州から帰国してまだ10日ほどですが対ドルは11円も円高になりました。

対ユーロはあまりレートが動きません。ドルの一人負けでしょうか。

しかし円安は対ユーロでは現実問題です。こまったもんだ。

2007年10月 9日 (火)

ものづくり日本の経済的価値

  本日朝一番、事務所で目覚めて小雨の降りしきる中、久しぶりに新宿南口のクリスピー・クリーム・ドーナッツに、ドーナッツと珈琲を食しに行って来ました。なんと行列がありません。2006年の12月15日にオープンして以来、通勤の途中、所長が見たなかで始めての光景でした。店舗2階の客席から新宿南口の朝の喧騒を眺めながら、ゆっくりと珈琲を味わいました。これこそ”心のスローフード”でしょうか。スローフードとは、形ばかりの有機食材使用だけではなく、精神のスローが伴わないといけないと思っています。

 その点、わが国には”禅”があります。禅作法は、今風に言えば、あるがままに生きる究極の”スローフードとスローライフ”の実践でしょうか。英国の経済学者シューマッハは、21世紀は仏教経済の時代とも言っています。禅のマインドがこの考え方の源でしょうか。所長も30歳代のとき、毎月世田谷の禅寺で故・鈴木格禅先生からご提唱を受けたものです。毎週駒沢学園の土曜座禅会にも参加しました。最近はすっかりご無沙汰です。

 さて新宿といえば、所長は昔、むかーし、大学生活を送るため、18歳のとき、”あずさ5号”に乗って、信州・信濃路の松本に向かいました。いわば所長にとっての新宿は、大人の世界への出発点です。新宿南口の代々木事務所へは48歳のとき、30年ぶりに戻ってきたわけですが、新宿の町には感慨深いものがあります。

 さて先ほどのドーナツ屋さんは今後、10月12日に有楽町、そして埼玉の川口に相次いでオープンするそうです。アルバイトさんを募集していましたが、時給がおよそ2タイプに分かれていました。ドーナッツを作る人は時給1050円、売る人は時給950円だそうです。作る人の方が100円も高い。士農工商という身分制度を江戸幕府(幕府創設時は米価経済、途中から貨幣経済へ移行、それにより武士よりも商人が強くなりました)は作りましたが、昔からわが国ではモノを作る人の方がエライ(経済的価値が高い)ものなのですね。

 ”ものづくり日本”ですから

「商人(あきんど)も真心を込めて頑張らないといけないですね」と、江戸時代の石田梅岩の声が聞こえてきそうです。

 

2007年9月19日 (水)

新街道を行く(8)自然の営みに合わせることも必要

 今回、念願の広島県福山市の”鞆の浦”に行ってきました。福山市には講演やワークショップでたびたび訪れていましたが、鞆の浦まで足を運ぶ時間が作れなくて、たいへん苦慮しました。今回やっとその夢が実現しました。

 鞆の浦は、瀬戸内海の潮待ち港、古代から江戸期まで交易で栄えた港町。古代の魏志倭人伝では、邪馬台国へ向かう途中にある投馬国(トウマ)の港では?とも言われています。また中世の鞆の浦は、室町幕府初代将軍足利尊氏が九州から勢力を盛り返した拠点、そして時代は経過しますが、織田信長に追われた15代将軍の足利義昭が室町幕府を閉じたところでもあります。鞆の浦はそうした時代を見据えた歴史の結節点です。

 そんな鞆の浦を眺めながら、のんびりと丘の上で考えたことは、現代の鞆の浦で”潮待ち船”を再現してもよいのではないでしょうか。日本のなかに、あえて現代文明を使わないところがあってもいいはずです。子どもたちや疲れた大人たちに、潮待ち船のような自然の摂理を見せる場所として、鞆の浦は格好なところではないでしょうか。長い人生、潮の満ち引きのように、立ち止まって自然の営みに合わせることも時には必要でないでしょうか。

 新幹線や高速道路、飛行場が通じる機能的な都市や町が、必ずしも人間を幸せにするとはいえないからです。鞆の浦は、のんびりとした大陸的な風水を感じさせる不思議なところでした。

 

 

2007年9月18日 (火)

新街道を行く(5)地方は高速道路が生命線

 先週は講演で広島県を訪れました。広島市から世羅町に入り農業の視察をしてきました。案内していただいた世羅町のところどころには、小高い山と山の間に高速道路の橋が架かっていましたが、その長さは500メートル、いや800メートルはあるでしょうか。尾道から日本海の松江まで結ばれる高速道路の橋脚だそうです。ただいま建設中ということで鉄骨の一部がむき出しになっています。これが完成すると尾道-松江間が約2時間で結ばれるそうです。瀬戸内海と日本海がたったの2時間で行き来できてしまいます。夢のようなことです。

 広島県尾道-愛媛県松山間には、すでに”しまなみ街道”として高速道路が瀬戸内海の島々を結んでいますので、こちらも移動は2時間です。また愛媛県内は、松山から宇和島まで高速道路を使えば、2時間ですから、もし松松(松江ー松山を結ぶ)高速がつながれば、宇和島-松山-尾道-松江ルートはおよそ6時間で結ばれてしまいます。これでは既存の宿泊型の観光地が大激変することでしょう。そして、これからは日帰り型観光の全盛時代を迎えることでしょう。

 これにより経済圏の形成も大きく変容することでしょう。日々変化を見極める眼を養うことが大切な時機、時代となりました。

2007年9月17日 (月)

新街道を行く(4)地域間格差に取り組む

 八幡浜市は、かつて海運業や漁業で栄えた町あり、西日本の大坂といわれたそうですが、今はその面影もないくらい衰退しています。漁業の衰退は特にひどく、湾内にはトロール船が1隻しか係留されていませんでした。盛んなときは、50隻以上が港に係留され、漁の解禁日には大漁旗を一斉になびかせて船出していったそうです。昨今の油の高騰ばかりでなく、水温の上昇で魚が取れなくなったことも一因でしょうか。

 また八幡浜市は、高速道路が県都の松山から接続されておらず、手前の大洲インターで降り、一般道を進むしかありません。地方都市では、こうした高速道路、新幹線、飛行場などとの接続が地域経済の成否に与える影響は大であり、大企業も工場進出の有無を計るとき、こうした立地を調査しています。

 現在、八幡浜市の人口は4万人あまりです。細内所長がかつて住んでいた川崎市多摩区の菅(すげ)町内会(人口規模が日本一の町内会です)の人口とあまりかわりません。都会には人が集まり過ぎています。どこの地方都市もそうですが、他所から観光客などを呼び込んで新しい市場(マーケット)を創造(活性化)することが、今後の課題解決の一つでしょうか。

 今回そうした課題に取り組むため、コミュニティ・ビジネスによる起業ワークショップを八幡浜市で開催しましたが、子育て後の女性に元気があり、水産物の加工やミカンを活用したコミュニティ・ビジネス事業企画案が出てきました。このことは、まだまだ頑張れるということの証でしょうか。コミュニティ・ビジネスは浸透までに3年から5年と時間がかかりますが、こうした小さな種を大切に育てていくことが重要です。今後行政支援もこうしたことに継続して取り組まれることが肝要でしょう。地域住民が起こす地域密着型の起業(ビジネス)は、地域に雇用を生み出す、地方自立の第一歩だからです。コミュニティ・ビジネスは地域コミュニティの衰退を食い止め、地域間格差を解決する方法の一つでもあるからです。

2007年9月 9日 (日)

新街道を行く(3)日帰り型観光へ一大決心

 現地で聞いたお話ですが、最近道後温泉の宿泊客が減っているそうです。原因はいろいろあるかもしれませんが、ひとつには、しまなみ街道(瀬戸内海の島々を橋で結ぶ高速道路)により広島県とつながったことが考えられます。このことは日帰り客が増えたか、もしくはその先の高知や徳島まで足を進めたことによるものでしょう。

 同じように新幹線でもいえます。長野新幹線により従来の宿泊型の観光地は大幅に客数を減らしました。東京からの日帰りが可能になったためです。橋や道路や新幹線が必ずしも地域振興につながらないケースでしょうか。昨日秩父市で講演をしましたが、秩父でも最近宿泊客が減っているそうです。いかに宿泊型の観光地から日帰り型の観光地に気持ち(事業)を切り替えるか、この一大決心がたいへん重要なのです。特に宿泊型観光の成功経験があるところは、今の観光客のニーズについていけないのでしょう。

 いま日帰り型観光地で大成功しているところに川越市があります。小江戸・蔵の街・川越は、都心から1時間ほどですがいまや年間400万人もくる町です。ほとんどが手ごろな旅を求める日帰り客です。その一大決心の例にこんなことがありました。町のシンボルの前に魚屋さんがありました。ご近所の方を相手にする町の魚屋さんです。しかし日中観光客がひっきりなしに通るので一大決心をし、その観光客相手に刺身定食屋をはじめました。それからお店は大繁盛したとのことです。かつての宿泊型の観光地では、この一大決心をすることがなかなか難しいことなのです。

2007年9月 4日 (火)

細内所長の新街道を行く(1)

 お盆明け、講演・ワークショップの仕事で愛媛県(伊予の国)に長期滞在していました。一昨日、無事終了し、帰京しました。愛媛県でも特に中予と南予といわれる地域、都市で言うならば松山市、大洲市、八幡浜市でコミュニティ・ビジネス(CB)の講演・ワークショップをしてきました。途中で司馬遼太郎の「坂の上の雲ミュージアム」を視察してきましたので、今回の旅日記は「街道を行く」調でまとめたいと思います。

細内所長の 新街道を行く:大洲の町の3層構造論

 大洲市は、秀吉配下の七本槍で有名な加藤家の城下町ですが、市街地の形成がたいへんハッキリしている全国でも珍しいケースではないでしょうか。

 第一層は、肱川から南側のお城から大洲神社にかけて城下町が形成され、古い街並みが小京都の趣を醸しだしています。木造商家のほか、明治時代の赤レンガの建物も時代をタイムスリップしてくれます。そんな風情がただよいます。

  第二層は、肱川を挟んで北側からJRの伊予大洲駅までが新市街地でしょうか。鉄道がかつて主役の時の街並みです。城下町の外れに駅が設置されました。その一角に殿町という地名が残るように近代日本で財を成した新興勢力が料亭で川遊びをした様子が伺い知れます。東京で言えば、隅田川を挟んだ川向こうの”向島”でしょうか。

  第三層は、上記市街地を避けるために開通したバイパス通りですが、ここに高速道路のインターチェンジが接続され、田圃沿いのバイパス道路に郊外型の大型店舗が多数配置され、一つの商店街とでもいうべき新町が形成されています。わが国のトヨタが世界一の自動車メーカーになるくらいですから、この街並み設計は現代の車社会を象徴しています。

 わが国の地方都市では、時代の移ろいとともに、上記の3層構造で町が形成されてきましたが、大洲市ほど、この3層構造がハッキリしているところはそう多くはありません。ですから町のパワーは、いまこの第3層目から発信され、人々も自動車で駆けつけ、多くの人々で賑わっています。それに対し、第2層の中心地であったJR駅前に活気がないのは、どこの都市も同じ悩みではないでしょうか。

2007年6月29日 (金)

宮澤元総理の死を悼む

 昨日宮澤元総理が亡くなられ、小生2回ほど2006年初夏に1対1でお話しする機会に恵まれたことから、たいへん残念に感じています。ご冥福をお祈りいたします。

 以下、昨年2006年の当方・代々木事務所日記からの転載です。

 本日(2006年)5月3日は、代々木事務所から自転車で表参道に行ってきました。ゴールデンウィークの中日でたくさんの人でした。東京は快晴で気持ちのよい昼下がりの午後です。表参道ヒルズ本館にBISTY,sというお店があり、ワインを(プリペードカードを購入して)量り売りで飲める粋なお店を体験してきました。プリペードカード1枚、工夫次第で10種類近くのワインを一度に飲めそうです。これは環境にも優しいたいへん良いアイディアです。

 当日の14:10ころでしょうか、原宿駅の五輪橋手前の木陰で散歩、休憩中の宮澤喜一元総理に偶然お目にかかりました。表参道はたくさんの人、人、人ですが、そこから奥まった神宮前6丁目あたりにはだれもおりませんでした。たいへん静かな通りでした。しかも元総理はお一人でした。小生が「宮澤さんですか」と、お声をかけましたが「はい、そうです」とすぐに答えてくれました。ハンチング帽を被り、杖をつきながら花壇に腰掛け、「今日はあまり調子がよくないのです」とおっしゃっていました。「お歳はおいくつになられましたか」とたずねると、大きな声で「86歳です」と返事され、小生が「おだいじになさってください」と一礼して元総理の前をあとにしました。最近の宮澤さんはだいぶ痩せられて、この1月天国へ旅立った母の姿を思い出しました。早く体調を戻されてお元気になられることを祈念します。

 
 都心ではこういう体験ができることを改めて実感しました。わが国に総理経験者が多数いらしゃることは、社会にとっても良いことです。人生経験豊かな先人の経験や知恵をもっと、我われは活かそうではありませんか。実は、高齢社会は、そうした先人の経験や知恵を活かすことに恵まれた知識価値社会でもあるのです。

2007年6月22日 (金)

高齢者の社会参加にコミュニティ・ビジネス

 最近、発表された日本人の平均寿命は男女とも世界のトップです。都道府県別に見ると、長野県は男性、女性ともトップクラスで、日本一の長寿県といってもいいでしょう。その理由は、自然環境に恵まれ、予防医療も発達し、高齢者になっても緩やかに働ける場所が、身近な地域コミュニティにあるからだと考えています。今後ますます高齢者が増加するわが国において、身近な生活の場に、適度に、頭を使い、体を動かし、仲間と笑うことができる、小さな働く場やボランティア活動などをする場があることはすばらしいことです。

コミュニティ・ビジネスによる起業は地域経済への波及効果ばかりか、こうした高齢者の社会参加の場づくりにも有効に働くのです。たとえば中山間地では、高齢者による無農薬や低農薬による果実・野菜づくりが盛んで、“道の駅”の産直販売として全国各地で展開されています。その加工品も含めると全国で3000億円の市場を形成しているともいわれています。ですから専業農家では年収1千万円を超えることも珍しくありません。一方、ある農家のおばあちゃんは野菜づくりだけで年間売上500万円にも達するというし、“道の駅”では、年間売上10億円を越えるところも少なくありません。このように食材・食品販売がうまくいっている理由は、顔の見える関係の中で営まれる事業なので、食品の安全性への不安が叫ばれるなか、消費者が安心して食品を購入することができるからでしょう。いまの世の中は、顔の見える関係を失っているからこそ、顔の見える関係を回復する、こうした地域の現場にあるコミュニティ・ビジネスが貴重なのではないでしょうか。(拙著「みんなが主役のコミュニティ・ビジネス」ぎょうせい に加筆して構成)

2007年6月19日 (火)

コミュニティ・ビジネスの必要性

筆者が、コミュニティ・ビジネスを言い始めてすでに13年目になります。時代も21世紀に入り早くも6年が経過し、コミュニティ・ビジネスも一人で始めるものから、地域コミュニティの仲間と一緒に始めるもの、そして地域コミュニティ再生のために意志をもって同士とつくるもの、また衰退している地域コミュニティで意識してつくる社会的企業まで、いよいよその輪郭がハッキリと見えてきました。近年の規制緩和により、わが国も個人間や地域コミュニティ間での貧富の格差がますます拡大し、下流社会、ワーキングプアーなどという言葉も広まり、ますますコミュニティ・ビジネスの必要性、重要性が高まってきたと感じております。

筆者は、いままでわが国の北端から南端まで日本各地(800箇所を超える)の地域コミュニティの現場を歩き、その格差を埋めるためにも「何とかしなくては」と、胸を痛めてきました。そうした地域コミュニティへの熱い思いを伝えたいと願い、少しでもわかりやすい形〈著作〉にしようと、仲間とともにまとめてきたのが一連のコミュニティ・ビジネス関連書籍であります。私の熱い想いはまだまだですが、小生のホームページ http://www.hosouchi.com からその想いを感じ取っていただければ幸いであります。そうした著作物が、その改革、再生に向けてのヒントや参考になればと考えております。

2007年5月29日 (火)

コミュニティ・ビジネスと地域金融

 コミュニティ・ビジネスは、従来の営利追求型ビジネスと異なり、地域社会のネットワークに支えられて成立します。主役は地域コミュニティに生活の場をもつ人々です。地域コミュニティに利害関係や関心を持つ人々が地域事業を営むことによって、雇用が創出され、資金が循環し、地域コミュニティに対する責任感や当事者意識が醸成されるのです。

 コミュニティ・ビジネスを支える人々には、次の4種類があります。

第一には「パトロン(後援者)」です。これらの人々はコミュニティ・ビジネスを物心両面で支援してくれる人です。

第二には「パートナー」です。そこには経営に参画してくれる人が必要です。つまり、経営に関与し、投資や出資をしてくれる人です。

第三には「サポーター」です。サポーターの中には無償ボランティアとして参画する人もいるでしょう。これはいままでの企業社会にはない要素です。

第四に「バンカー(コミュニティ・バンクのバンカー)」がいます。これはいままでの土地とか建物を担保にしてお金を貸すバンクではなく、事業性や地域への貢献度から判断してお金を貸す、本当の意味でのコミュニティのためのバンカーです。21世紀の共生社会では、こうしたコミュニティ・バンクのバンカーが求められることでしょう。もちろん、行政や企業からの協力、協賛や補助金を仲介したり、アドバイスをしたりすることも重要な業務の一つになることでしょう。顔の見える相互扶助の地域経済をつくっていくには、こういうコミュニティ・バンクも必要なのです。

 山梨県には、今でも「頼母子講」が残っています。室町時代から江戸時代まで日本各地の農村には「頼母子講」がありました。「頼母子講」とは、簡単に言えば金融の相互扶助的組織です。組合員が一定の期日に一定金額の掛け金を拠出・プールしてファンドをつくります。そして、くじや入札によって、その資金を貸す人を決めます。ファンドの中から該当者に所定の金額を貸し出します。その人は、期日が経ったらその資金を返します。それを毎回繰り返し、組合員全員にお金が行き渡るまで行うものです。

 しかし、現代に江戸時代の頼母子講をつくるのではなく、いまの時代にふさわしいコミュニティのための資金調達(ファンド・レイジング)の仕組みをどう作っていくのか。欧米ではコミュニティ・バンクのことをクレジット・ユニオンとも言っています。そういう資金規模が小さく、顔の見える関係のコミュニティ・バンクを日本でつくるにはどうしたらよいか。グローバルな嵐の影響が強い日本では難解です。ドイツにはエコ・バンクがありますが、テーマ型コミュニティの中で存在感を示しているそうです。(拙著「みんなが主役のコミュニティ・ビジネス」ぎょうせい 2006 に加筆)。