写真的備忘録

2021年2月12日 (金)

1996年2月の『日本工業新聞シンクタンクの目』より『コミュニティ・ビジネス』を語る

☆彡

細内信孝が、コミュニティ・ビジネス(CB)研究の黎明期に書いた日本工業新聞『シンクタンクの目』の連載記事(4回シリーズ)

日本における全国への情報発信は、1995.9.6発行の日本工業新聞『シンクタンクの目』細内信孝の寄稿が日本で一番最初の記事である。

https://g.co/kgs/MvJRy2 (細内略歴)

上記の下線をクリックするとそれぞれ閲覧することができる。

☆彡

2020年11月11日 (水)

よみうりランドも成長しているね!

地元開放日に大好きな遊園地よみうりランドに行ってきました。久しぶりの園内は大きく様変わりです。

2020-1

観覧車は地上からただただ眺めるのが好きです。

2020-2

よみうりランドが地元市民に無料開放するイルミネーションの季節がやって来ました  

帰りにグリーンクラブの天安で中華理に舌鼓。

しかしジャイアンツの長嶋監督や駒田、松井、そしてベルディのラモスや北沢、カズの姿はそこにはもうありません。

時が経つのは早いものです。私もすでに還暦をとうに過ぎています。

☆彡

2020年11月 6日 (金)

コンビニ数と同じ数を誇るNPO法人の存在

コミュニティ・ビジネス法人格の一つにNPO法人がある。

画像に含まれている可能性があるもの:1人、立っている

私は、1999年NPOの黎明期に日本青年会議所の茨城ブロック協議会より頼まれて講演を行う。

NPO法がスタートしたのは、1998年12月だった。

それから全国各地に1999年からNPO法人が多数誕生した。

今や5万法人を超えるNPO法人。

くしくもコンビニ店舗と同じ数を誇る身近な存在のひとつにまで成長した。

さて20年が経過し、我が国の民度は向上しただろうか?

考えて欲しい昨今だ。

*

2020年10月 5日 (月)

県立図書館で鹿児島県桜島大爆発の感動を得る!

2018年10月31日と少し前の話しになるが、鹿児島国際大学での講演の帰り、椋鳩十研究(彼はここの元館長、本名久保田彦穂、長野県喬木村出身、法政大学卒) で訪れた県立図書館の館長室での一コマ(ご案内の方のご厚意で今も使用されている館長室にて記念撮影)、背景の桜島大爆発の絵がとても印象的だった。
2018 
本好きの私としては、子供のころから図書館長になるのが夢でした
https://g.co/kgs/MvJRy2 (細内略歴)
*
久保田彦穂は長野県人らしからぬ豪快で繊細な一面を合わせ持っており、「大学は出たけれど、職はなし」の時代、女医である姉の勤務地鹿児島にやってきて以来、住み着いてしまった。私は、彼の誕生地、長野県喬木村の依頼で地域づくりのアドバイザーで半年、仕事として東京から通ってお手伝いをしたことがあり、味噌かつ丼の美味しいところである。ご当地には村の図書館を兼ねた椋鳩十記念館があるが、一見の価値ありで、そこから見える伊那谷の夕焼けがとても素晴らしい。
☆彡

2019年12月15日 (日)

テーマパークに見る、武士の出現から始まる一所懸命の土地本位制度の価値観

事務所の資料を整理していたらシンクタンク研究員時代の資料が出てきた。

当時勤務していたシンクタンクの調査で新しく建設された全国のテーマパークを訪問し、テーマパークの事業性可否のヒアリングを重ねていた。おおむね全国にあるテーマパーク50か所は越えたであろうか。

当時小生の仕事によるTDLへの訪問は60回を超え、応対してくれた広報担当者によるシンデレラ城の地下にあるスタッフ専用のトンネル内の視察は、同僚研究員に対する自慢話しの一つになった。

Dsc_0014_20191215165501

オープン時の長崎県佐世保市にあるハウステンボスを訪ねる。県工業団地があったところに新しくテーマパークが出現した

*画像をクリックすると拡大します

Dsc_0020

これは『レジャーランド&レクパーク総覧』綜合ユニコムに寄稿した拙稿『日本のレジャーランド考』である

Dsc_0019

レジャー産業界においてはバイブル的な書籍だ

Dsc_0022

当時はテーマパークという新奇性からか、多くのメディアからテーマパークに関する寄稿やコメント依頼が殺到した

Dsc_0012-2

和歌山県和歌山市のポルトヨーロッパを訪ねる

☆全国数十所のテーマパークをヒアリングして導き出した金融機関の融資可能な金額は、日本ではエンターテイメントの採算性や将来性よりも、駐車場を含めたパークの土地・不動産の売却可能な額が融資審査のベースにあった。そうして武士出現以来のモットーである一所懸命の土地神話は、こうして今も生き続けている。

2019年12月12日 (木)

坂下門から入り、乾門通りを進み、天守そばの大嘗宮に向かう

Dsc_0013

江戸城の富士見櫓を右手に見ながら乾通りを北上する

Dsc_0012

テレビでおなじみの宮内庁庁舎前を通過

20191206_142010

江戸城・皇居の乾門通りは紅葉真っ盛り

20191206_151813

12月6日は空いていたのか、大嘗祭で使われた宮殿前で幸運にもすっきり撮影ができた

2019年11月12日 (火)

むかしCBの特集で私が監修した全国のまちの情報誌です。

ココファームワイナリー、こころみ学園の川田昇さんから始まる次の掲載記事は、むかしむかし全国信組中央協会さんから頼まれ、細内所長が監修した全国のCB事例です。

しんくみ情報誌『ボン・ビバーン』で全国の信用組合の銀行店頭で配布されました。

☆彡

Photo_20191112095701

秋が来れば想い出す、足利市のココ・ファーム・ワイナリーの収穫祭。

間もなく農園で開催される。

*画像をクリックすると拡大します
仕事を通して自分らしく生きるのが、CBの特徴の一つ。
 Boon_0001
*
Ogawa101215
*
Boon3 
*画像をクリックすると拡大します
Boon_0002
福祉介護の仕事は、人間の力量が試される分野だ。ある意味一番難しい仕事だ。

2019年9月 4日 (水)

総務省で行われたアドバイザーの「夏の全体会議」の集合写真です

今年で13年目になる地域情報化アドバイザー全体会議が総務省で行われ、私も参加してきました。

その集合写真がこれです。最初は20人くらいから発足しました。

*画像をクリックすると拡大します

Img_6380

私は写真に向かって前列の右端におります。

地域情報化アドバイザー制度発足以来、私は13年連続の古参アドバイザーです。

2019年7月18日 (木)

CB総研の備忘録写真

 

CB総研の事務所移転に伴い、懐かしい写真が出てきました。

*CB総研のエンブレム

Soukenn

*

絵本「まちにやさしい仕事」を解説

1999

*

湘南ビーチFMの夏

Photo_20190718191701

*

湘南ビーチFMの冬

Photo_20190718191801

*

若葉台4丁目事務所にて

4

*

駒澤大学経済学部にて講義

Photo_20190718191901

*

山武市の農村レストラン米夢にて

Photo_20190718191902

*

 

2019年5月25日 (土)

歴代の女性アシスタントさんたちを思い出す、今日この頃

2019年3月に東京渋谷区代々木の事務所から移転した。2006年3月代々木に引っ越してきたから丸13年居たことになる。

コミュニティ・ビジネスの研究をコミュニティの現場、東京墨田区両国で始めたのが1994年、そして現場に事務所を設けたのが1997年3月だから、足掛け25年の研究テーマになる。今やコミュニティ・ビジネス研究は私のライフワークとなっている。

その歴史と私の仕事を支えてくれたアシスタントさんたちをご紹介しよう。時には会社のホームページの制作、海外に出す英文レターの作成、出版社からの寄稿を一緒に纏めたりもした優秀な女性たちである。

*画像をクリックすると拡大します

Photo_10

かつて(1997年3月~2001年1月まで)コミュニティ・ビジネス・ネットワークの事務所があった東京墨田区両国3丁目のビル、懐かしい

*

1998

墨田の仲間たちと、中央の茶色いメガネが筆者、その右隣りがMさん、札幌南出身のMさんには5年間も支えてもらった(墨田区役所前にて)。彼女とは、『まちにやさしい仕事』1999年というCBの絵本を一緒に制作した。

*

Souma

メーカーのシンクタンク研究員を辞め、新天地の東京稲城市のワンルームでホソウチ事務所を立ち上げた。その時分、私の右腕であった慶応義塾の大学院生であった木村君の紹介で東大の大学院生であったSさんが手伝いに来てくれた。彼女はいま国立大学の教員をしている。その時一緒に纏めた寄稿がこれらである

*

Office

東京稲城市から2006年3月に代々木駅東口から1分のところにある新築のマンション事務所に移転した。

20160713-435

東口から1分で事務所に辿り着いた。明治神宮や新宿御苑入口まで各8分で気軽に出掛けられた。代々木界隈は気分転換にもたいへん心地よい場所であった。

*

201811

Fさんには、米国大学院卒業直後の2007年の第一期(10か月間)と第二期の2014年3月~2019年2月(5年間)の両期間を支えてもらい、和文翻訳やホームページの作成IT系の問題解決ではだいぶ助けられた。彼女はパワフルな女性である。

Img_1788

2008年4月~2010年4月の2年間アシスタントをしてくれたYさんは、その直前まで私の著作を担当していた出版社の元編集者で、会社を辞めて東大の大学院生をしながら、週2日ほどサポートしてくれた。彼女から「お茶づけ12年」の意味を教えてもらった。先を見据えた仕事の計画策定がたいへん上手であることが印象に残っている。彼女はいま国立博物館のキュレーターを務めている。

Imgp0122

彼女は九大を出て、大手電機通信メーカーの社員のまま、土曜日を中心にサポートしてくれた。当時、私は法政大学大学院の兼任講師(6年間)をしていたので、彼女に授業で使う資料を作成してもらっていたし、彼女は大学院の授業にも同行してくれた。

  170410_16200032008hosei1

桜咲く新宿御苑にて(観光客から借りた虎のリックを持つ)、大学院のパンフに載せる写真を撮影(代々木事務所にて)

Dsc_1009

引越し直前の2019年2月、渋谷区千駄ヶ谷5丁目の代々木事務所から夜景の新宿駅方面を望む

*

Dj1 

湘南ビーチFM(森川さんの番組)に3年間(2008~2010年)、月一回の出演をしていたころ、『ハッピーコミュニティ・ビジネス』の台本は、アシスタントのYさんに纏めてもらっていた。逗子葉山での生放送終了後、葉山マリーナ付近にあった漁師の女将さんたちが経営しているCB食堂に立ち寄り、女将さん作る魚定食を食べるのが毎回楽しみであったが、今でも営業しているのかな?また訪れてみたい漁師の女将さん食堂である。

☆彡

歴代アシスタントのみなさん、お元気ですか?

また会いましょう!

Ill_saron 

☆彡

より以前の記事一覧