細内所長のコミュニティ・ビジネス探究

2023年12月 1日 (金)

岡山県笠岡市のCB研修会

今週(2023.11.27~12.1)は、昨日(11.30)まで、岡山県笠岡市のみなさんの招きで、CB研修会においてCB(コミュニティ・ビジネス)のお話しをしてきました。

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16年前、笠岡諸島では、北木島、真鍋島でCB講演をしました。そして笠岡本土でもCB講演をしました。

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CB提唱者から学ぶコミュニティビジネス研修会 | よし今だ新聞 (yoshiimada.com)

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役所の職員さん、福祉・NPO関係者のみなさんと意見交換をしてきました。笠岡市の人口は現在46,000人で、最近年間500人ベースで減少しているとのこと。これはとても深刻です。これを止めなければなりません。いま全国10万人以下の都市が抱える共通の問題です。

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北木島行きのフェリーです。私も乗船したことがあります。北木島は花崗岩(大阪城など)の石と島の大運動会が有名です。

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美食を楽しむ辻与旅館の朝夕食(新鮮な魚とお米がとても美味しかった)から吉田の笠岡ラーメン、笠岡うどん、笠岡いなりとばらちらし、そして清水さんの庭園と笠岡の生活を満喫してきました。

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2023年9月23日 (土)

なぜ長野県が日本一の長寿県なのか? 細内解説

2022年の調査によると全国一の長寿県(女性1位、男性2位)は長野県である。

その主因を私なりに、学生時代の4年間の長野生活と毎年仕事等で訪問した実績からも、その解題を試みた。

40年前に比べ、まずは塩分の摂取量が大幅に下がったことで食事改善指導が成功した。鯉こくの味噌汁は塩分量も多く、他地方の2倍はあったように舌が覚えている。

第二は60歳を過ぎても、地縁関係の中に緩やかな働く場がある(有償のコミニティ・ビジネスが周りにたくさんある)。

第3は多種類の野菜を自ら沢山作り、食べるようになったことである。

最後に、この3つを支える農協の支援や県の医療福祉や健康指導が大きく影響していることは言うまでもない。この4つの輪が相互に作用し、長野県を20年近く日本の長寿県の一つとして支えている。

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ピン、ピン、コロリが本当に良いか?私には分からない。

長野県南佐久郡の生まれで、丸子(現上田市)、佐久市で長年生活し、84歳を過ぎてから我が家にやってきた義母、94歳まで長寿を全うした。

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伊那地方出身の山口進の版画『木曽駒ケ岳の遠望と麦踏』(筆者蔵)

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細内の公式FBと同時配信

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2023年9月 8日 (金)

カンペイ大社と奉賛会

昔からあった日本的クラウドファンディングの跡(奉賛者石碑)を発見。ここは出雲族が国開きをしたと記載あり。
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一口、最高1,000万円也。
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地域で愛される博物館、美術館、図書館にはこの手があった
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表参道の長さが2.5キロメートルもあり、3つの鳥居がある。さすがカンペイ大社だ。
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曽祖父が宮司だった神社大好き人間

コミュニティ・ビジネスと大漁旗

四国愛媛県のある市でコミュニティ・ビジネスの講演をしたとき、市役所のロビーに100本近い大漁旗が掲げられていました。

「大漁旗が1本欲しいな」と軽く言ったところ、担当の職員さんが『先生欲しい旗を1本どうぞ』ということで、いただいたのがこの大漁旗です。

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昔トロール船は100隻近くあったそうですが、講演当時には2隻に激減していたそうです。これは市に寄付されたあるトロール船の大漁旗の一つです。

ここは魚介類でなく、豚肉をメインにしたちゃんぽんが正当な町だそうです。魚介より豚肉の方が当時値段が高く、ごちそうだったそうです。わかる気がしますが、よそ者には港町で食するちゃんぽんには魚介類が一番だと思います。

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研究員が見た東京駅遠望

サラリーマン研究員時代の当方研究ブース内の写真が出てきました。1990年初頭にマックSE20を使用していました。30年前のことです。愛用の鉄道時計が見えますね。全国の講演で持ち歩きました。今でも所有しています。

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その金融機関の研究所は東京駅前にありましたが、写真は会社の窓からみた30年前の東京駅遠望です。赤レンガの駅舎は戦後修復時のものです。

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東京駅前から新幹線と長距離バスが出ていました。

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2023年9月 5日 (火)

福原義春さんの励ましの言葉を想う

資生堂の福原義春さんの訃報の記事を目にした。

それは21年前の立教大学大学院(当時私は立教大学院の兼任講師でコミュニティ・ビジネス論を教えていた)の講師控室でお会いした時のことである(福原さんも当時立教大学院でメセナ論を教えていた)。
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名刺交換と少しの談義をさせていただいたが、印象に残っていることは、私がまちづくり(CB)の講演で全国を飛び回っているとお話しをしたとき、『日本全国を講演でまわることはたいへんですが、それはよいことですね。ぜひ頑張ってください。』と励ましのお言葉を頂いたことである。
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後日福原さんが版画好きであることを知り、版画談義ができなかっことが、いま思えば残念なことである。
ご冥福をお祈りする。合掌

2023年8月23日 (水)

コミュニティの研究者、細内の代表的な著作

コミュニティ・ビジネス研究者である細内信孝の本の中で代表的なものは、「コミュニティ・ビジネス」(1999)、「地域を元気にするコミュニティ・ビジネス」(2001)、「みんなが主役のコミュニティ・ビジネス」(2006)、「団塊世代の地域デビュー心得帳」(2007)、「がんばる地域のコミュニティ・ビジネス」(2008)、「コミュニティ・ビジネスのすべて」(2009)、「人にやさしい仕事」、「10代からの起業講座」(2022)、「新版地域を元気にするコミュニティ・ビジネス」(2023)である。

詳しくはこちら→コミュニティビジネス総合研究所 (hosouchi.com)

CB総研から上梓している近著は→CB総研のベストセラー (hosouchi.com)

 

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2023年8月22日 (火)

注文の多い小売店でシニアは泣いている

今朝からコンビニ店、回転寿司店、牛丼店、百均店を回って気づかされたことがある。

アフターコロナとなって注文の多い小売店(宮澤賢治の「注文の多い料理店」は食べられてしまう夢から、運よく目が覚める怖い話しだが、それと同じことが今起こっているような気がする)が増えて、私のように対応に困っている人が多いのではないか?と思うのである。

皆さんも同感だろうか?

キャシュレス化で、ポイント付与があたりまえになり、小売店での支払いに、携帯スマホやカードによる決済が流行っているが、ソフトがばらばらで、おまけにセルフでバーコードを読み込ませるような面倒くささもあり、注文の多い小売店で買い物ができない人が増えている。

最近、注文の多い小売店がなんと多いことか、私のようにその都度店員さんにアドバイスをもらい、決済している。

また社会の窓(世間、社会の許容度の窓)も狭くなり

シニアにとって生活困難な現象が、また一つ増えた昨今のようだ。

人手不足もあり、この進化は止まらない。

(細内の公式 Facebook と同時発信中)

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礼節を重んじる日本人?。おごそかに鳥居をくぐって参拝しましょう

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2023年8月20日 (日)

椋鳩十と私

小学5年生の教科書に掲載されている椋鳩十の作品『大造じいさんとガン』『クロ物語』をご覧(お読み)になったことがあるだろうか?

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もともと椋さん(久保田彦穂が本名)は長野県喬木村の出身、法政大学を出て、昭和4年の世界大恐慌時、姉が女医をしていた鹿児島県の代用教員から高等女学校の教員となり、戦後鹿児島県立図書館長として鹿児島方式の「母と子の20分間読書」や「図書館ネットワーク化」を推し進めた。二刀流として児童文学者椋鳩十としても活躍した。

私は、10年前に長野県喬木村から「まちづくりの講演」を頼まれ、その後1年ほど仕事で同村へ通った。その時、詳しく椋さんを知った。「法政大学、喬木村、鹿児島市」の3か所で講演したのは、椋さんと私しかいないだろうというのが「私の自慢話」の一つである。

地元東京都稲城市の図書館で司書さんと椋さんの本の話しをしていたら、一般の人(鹿児島生まれの人)から声を掛けられ、いただいたのが、この椋さんの掛軸だ。こんな素敵なご縁があるものだ、と感嘆した次第である。(細内の公式 Facebook と同時発信)

 

2023年8月 3日 (木)

事業にはリスクがつきものであることをけして忘れてはいけない

今朝8/3のNHK朝ドラの「らんまん」を見ていて、母方の祖母のことを思い出した。

明治30年代生まれの祖母の実家もドラマに出てくるような酒造業を営んでいたが、大正3~4年ころ全国的な腐造流行(廃業したところは、全国の造り酒屋の三割近くにのぼるという)により、酒が酸味をおび、売り物にならなくなり、とうとう廃業したという。

当時地方の銀行は発達しておらず、資金調達は地元の大地主から金を借り入れ、それで酒造りに取り組んだという。しかし仕込んだ酒が全部廃棄となり、祖母の実家は郡内一の石高(生産高)を誇る酒造業の”のれん”を降ろさざる負えかったらしい。ドラマに出てくる峰屋と全く同じプロセスであり、全国的な流行であったことが確認できたのである。この話は、子どもの頃、祖母から直接聞いた話である。

以後日本の清酒には防腐剤を使うようになり、昭和40年ころまであまり美味しくない清酒(アルコールが鼻に衝く二級酒など)が幅を利かせていたという。

今は防腐剤を使用していない。健康的で美味しい日本酒が外国人にも受けている

しかし事業にはリスクがつきものであることをけして忘れてはいけない。思えば、干瓢問屋(干瓢の相場はいまの株式相場と同じくらい難しいといわれる)であった母の実家で、商業、商いの基礎を、私はこどものころから門前の小僧として身をもって経験し、我が家(養蜂場)では家訓として残っている。

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写真は本文と直接関係はありませんが、このお酒はフルーティでたいへん飲みやすい発泡清酒です。

女性や外国の発泡清酒愛好者が増え、マーケットは広がっているという。

(細内の公式 Facebook と同時発信)

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